創価学会・池田大作名誉会長が死去 今後の影響は?
創価学会の池田大作名誉会長が15日に死去しました。1960年に創価学会の第3代会長に就任し、創価学会を国内有数の宗教団体に拡大させたほか、公明党を設立して政界にも影響を与えてきただけに、今後の公明党の党勢にも影響する可能性があります。 池田氏の死去を受けて、岸田総理大臣は「深い悲しみにたえない。国内外で平和、文化、教育の推進などに尽力し、重要な役割を果たし、歴史に大きな足跡を残した」とのコメントを発表しました。 また、公明党の山口代表は、「池田名誉会⻑には、公明党の創立者として一貫して見守って頂き、深く感謝を申し上げる。創立者より、お示し頂いた立党精神を変わらぬ原点として、これからも永遠に守り抜いていく」とコメントしています。 池田氏は1928年生まれの東京都出身で、1947年に創価学会に入会しました。その後、1960年に第3代会長に就任し、国内外への組織拡大に努めました。その一方、1961年に設立された「公明政治連盟」を母体に1964年に公明党を結党し、政界にも大きな影響力を持ってきました。池田氏が示した「大衆とともに語り、大衆とともに戦い、大衆の中に死んでいく」との指針は、いまも公明党の立党精神として引き継がれています。 公明党は1999年に自民党との連立政権に参画し、野党に転落した時代を除き、合わせて20年以上にわたって自民党とともに政権を担ってきました。自衛隊のイラク派遣や、集団的自衛権の行使容認では、「平和の党」を掲げる公明党の立場を揺るがされる事態にも直面しましたが、自民党の行き過ぎに歯止めをかける、政権の”ブレーキ役”をアピールし、乗り切ってきました。 また、自公連立政権では、公明党の支持母体である創価学会の「集票力」を背景に自公の選挙協力が定着しています。ただ、近年は公明党が国政選挙の比例代表で得票数を減らすなど、その集票力にもかげりが見えていて、自民党内には、国民民主党を含めた新たな連立を模索する動きもくすぶります。さらに、現在は修復されたものの、次期衆議院選挙をめぐる自公間の候補者調整が決裂し、一時は東京での協力解消にまで発展するなど、危機的な状況も訪れています。 公明党支持者の求心力を維持してきた最大の存在とも言える池田氏が死去したことで、公明党は、党勢の回復や、自民党との距離感などをめぐって、新たな課題に直面する可能性もあります。