1月17日に生まれた命 ライフライン途絶えた中での出産 ”震災を知らない子どもたち”が絵本で表現 次世代への継承
「その時は、妊婦であることを忘れていた」 初めて語るあの日の事
震災当日に生まれた中村翼さんの物語。もっと事実に忠実な絵にするために、中村さんの両親を招き、当時の話を聞くことになりました。 中村さん夫妻が、あの日の記憶を家族以外に語るのは、初めてでした。 (父・中村威志さん) 「下から突き上げるような。ドドドドドドっときて、グラグラグラ揺れたんで。まず妊婦である妻を守らないと。それが一番にあった。覆いかぶさって守った」 (母・中村ひづるさん) 「何が起こったかさっぱりわからなかったです。ギャーって声を張り上げたぐらいで。悲鳴をあげましたね。すぐ主人が上に乗ってって感じだったので、何が起こったか全くわからなかったです」
2人は、余震が続く中、マンションから避難します。 (威志さん) 「必死でしたね。10階やったんで、ドアを開けた瞬間に火が見えて。気持ちが慌ててしまって。でもすぐに避難せなあかんいうことで、非常階段も長かったんですけど。妻を支えて下りたって感じですね。本当にみんな絵の通りですよ。絵の通り。」 (生徒の女の子) 「階段で下りる時、妊婦さんってお腹が重いから大変じゃなかったですか?」 (ひづるさん) 「必死です。その時は、妊婦であることを忘れていました。必死で下りていきました。あとで考えると、その時にこけたりしたら恐ろしいことになっていたなと」
やっとの思いでたどり着いた病院は、半壊状態でした。 ライフラインが途絶える中、1月17日の夜を迎えます。 (威志さん) 「建物が崩れそうだったんで。すぐにお腹から出すしかないということで、吸引分娩を選択して。真っ暗やったんで、先生から『お父さんも入って、懐中電灯で照らしてください』いうことで、私ずっとやってました」 (ひづるさん) 「生まれたことに感動して、ありがとうございます。ありがとうございますって。まわりの先生方に」
「産んでくれてありがとう」 初めて聞く 自分が生まれた時のこと
1時間半の特別授業が終わり、「アトリエ太陽の子」の子どもたちは・・・ (藤倉ひなたさん) 「出産ってただでさえ命がけじゃないですか。そこを水もない電気も通ってない。何もない状態で懐中電灯だけで出産できたっていうことで、お母さんすごいし、それを支えたお父さんもすごいし。病院の先生たちだって焦ってる中で支えられたってこと自体に驚き。そこで感動をして、もうこれを描くしかないなと思って」 自分が生まれた時の出来事を、子どもたちと一緒に聞いていた翼さんは・・・ 「今初めて知ったこともありました。照れくさい部分があるので、ちょっと感謝を述べることはないんですけれども、産んでくれてありがとう。」