甲子園のアイドルと騒がれた元・超高校級左腕がプロで味わった蹉跌「ピッチャーとしての課題は…すべてだった」、クラブチームで再出発を決めたワケ
4月に入って、新年度が始まった。 昨年、NPBで戦力外通告を受けたのは計144名。その進路はさまざまだ。NPB他球団に移籍できた選手、二軍限定の新球団や独立リーグでNPB復帰を目指す挑戦者、アマチュア球界で野球を続ける男、そして、ユニホームを脱ぐ者。今回、NPBを諦め、社会人野球のクラブチームでプレーしながら、一会社員としてスタートを切った選手がいる。それが前ヤクルトの成田 翔投手だ。 【一覧】2023年 プロ野球 引退・退団・戦力外・トレード・移籍選手リスト 秋田商時代、2015年夏の甲子園に出場。U-18日本代表に選ばれ、超高校級左腕として活躍した。その顔立ちも女性ファンから大人気で、“甲子園のアイドル”と呼ばれるほどだった。 同年のドラフトではロッテから3位指名を受け、プロ野球選手としてスタートを切ったが、ロッテ、ヤクルトの2球団でプロ通算8年、一軍18試合登板未勝利に終わり、昨年、戦力外通告を受けた。トライアウトを受験するも、NPB球団からの誘いはなかった。一般企業に勤務しながら、クラブチーム・全川崎クラブでプレーすることを決断した。 なぜこの進路に至ったのか。プロでの苦悩、クラブチームを選択した理由について成田に話を聞いた。
偉大な先輩に憧れて秋田商へ進学
秋田商を選択したのは、プロ通算185勝を誇る偉大なОBと、甲子園出場の2つが理由だった。 「まずОBである石川 雅規さん(ヤクルト)の存在が大きいです。自分は身長も小さいですし(170センチ)、中学生の時から目標にしている部分はありました」 秋田県の野球少年にとって石川は大きな憧れであった。一方、秋田商は成田が入学するまで夏16回、センバツ6回も出場していた甲子園常連校だった。 「石川さんと秋田商、どちらにも憧れがあったんです」 1年生からベンチ入りし、夏には甲子園出場を経験。初戦の富山第一戦の8回からリリーフとして初登板。2回無失点の好投を見せた。 しかし、2年時は聖地には届かなかった。もう一度あのマウンドに立ちたいと思いで、2年冬はひたすら走り込みとウエイトに取り組んだ。球速も大きく伸びて、最速144キロまでレベルアップする。 「自分の中で成長を実感しました。ポイントになりましたし、手応えもありました」 その成果もあってか、最終学年では好投をみせる。夏は秋田大会5試合で、39回を投げ、55奪三振の好成績で、秋田商を2年ぶりの甲子園出場に導いた。 「甲子園に出場するのは当たり前だと思っていました。2年生に甲子園に出場できなくて(夏は県3回戦敗退)、悔しかったですし、『同じ思いはしたくない』と自分の中で決めていたことなので、出場できたときは『スタートラインに立ったな』と思いました」