東京で宮城の魅力を発信して19年「宮城ふるさとプラザ」 賃料の負担重く県が撤退決断 今後は独自営業へ
仙台放送
東京・池袋にある宮城県のアンテナショップが12月15日、19年にわたる歴史に幕を下ろしました。県の魅力を発信し、多くの宮城県出身者に愛された19年。閉店の際は常連客などが見守り、別れを惜しみました。 東京、池袋。ひときわ目を引く三日月型の看板。伊達政宗の前立てがモチーフです。県のアンテナショップ「宮城ふるさとプラザ」。この場所での営業は15日が最終日でした。 宮城ふるさとプラザ 大蔵国孝店長 「12月15日日曜日、朝礼を始めます。おはようございます」 従業員全員が出勤。最後の朝礼です。開店前、すでに店の前には多くの人が列を作っていました。客は開店と同時に続々と店内へ。次々と商品を買い求めていました。 来店客 「最後だから来たんだよね。寂しいですね。ずっと東京ですが、ずっとあったので」 「宮城に行ってみたいという話が店内で聞こえて、いいアピールの場所だった」 県が2005年に開設した「宮城ふるさとプラザ」。オープンから2024年11月末までの来店者は延べ1368万人に上ります。牛タンに、笹かまぼこ。東京にいながら宮城を感じられる店です。仙台市で育った斎藤駿太さん(25)と吉田優香さん(25)。2人とも就職を機に上京しました。2人にとってこの店は、ふるさとにいつでも戻れる場所でした。 吉田優香さん 「よくかまぼことか実家で食べていたので、ここに来ると宮城のかまぼこが食べられて、懐かしい気持ちになってまた宮城のことを思いながら頑張ろうとなれる」 斎藤駿太さん 「宮城を感じられるというか行かなくても、例えば昔食べていたなとか、こういうものあったなというのをここで買って思い出すことができたので、ここがなくなると寂しいというのはそれもあるかもしれない」 閉店の理由は、年間1億3千万円あまりの賃料。県は閉店を決めましたが、運営を担う県物産振興協会は来年1月中に日本橋茅場町に後継店を開き、独自で営業を行います。長年にわたり、店を支えてきた従業員。閉店への思いは客と同じです。 従業員(勤続13年) 「ものすごく寂しいです。ここに根づいている、買い物に来る年配の方も多いので、そういう方のことを考えると本当に残念」 従業員(南三陸町出身・勤続13年) 「私は茅場町の後継店には行かないので、12月までで、ここが終わるまでの奉公だと思って今仕事しています」 店長の大蔵国孝さん(47)です。オープン翌年の2006年にこの店で働き始めました。 大蔵国孝店長 「震災後を思い出すなと話はしていたんですよ。あの時、商品は全然入ってこないのに支援で何か買いたいとすごく多くのお客さんが来ていただいて」 京都生まれで、宮城には縁もゆかりもなかった大蔵さん。店と一緒に成長し、宮城への思いもいつしか特別なものになっていました。 大蔵国孝店長 「お客さまや生産者の方々に『宮城のために頑張ってくれてありがとうね』と言っていただいた。支えがあって今に至っているので本当に人に支えていただいてここまで来られた。皆さんの宮城愛を一緒に分けていただいて私も宮城のことを愛していく形になっている」 閉店まで客足が途絶えることはありませんでした。そして、午後6時。閉店のときが来ました。 大蔵国孝店長 「当店、宮城ふるさとプラザは本日12月15日をもって閉店させていただきます。2005年7月の開店以来、約20年間にわたる皆さまのご愛顧に心より感謝申し上げます。これからも引き続き、宮城ふるさとプラザ並びに宮城県のご支援、ご愛顧をお願い申し上げます」 県の魅力を発信し続けた「宮城ふるさとプラザ」。19年の歴史に幕を下ろし、来年1月、新天地で再出発します。
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