驚きに満ちた「歌集みたいな演劇」が生まれるまで《ロロ・三浦直之×上坂あゆ美×鈴木ジェロニモ鼎談》
「飽きる」というテーマ、その怖さ
──短歌と戯曲とをやりとりして作品をつくっていくという形式はあまり聞いたことがありませんが、上坂さんは誘われたとき、どんな気持ちでしたか? 上坂 最初から、今も、ずっとワクワクしていて。三浦さんから、演劇の脚本をずっと書いていると飽きる、「これでいいのかな」という気持ちになることがある、と伺って、すごくわかる気がしたんです。 私も短歌ばかりをずっとやっていたら短歌のことを嫌いになりそうで怖かったので、エッセイを書いたり、ラジオに出たり、いろんなことをして今がある。だから、三浦さんと一緒にやったら、観たことのないものが楽しくできるんじゃないかと思いました。 三浦 ただ、上坂さんに最初にタイトルを持っていって「最近いろんなことに飽きてきている」というお話をしたとき、上坂さんは「飽きるという感覚がわからない」と話されていたんです。それがすごく面白いなと思いました。飽きることに共感してつくっていくより、それに対して距離があるところから始まるほうが、今までと違うものがつくれるんじゃないかと。 上坂 そう、最初はわからなかった。それはいま思うと、きっと「飽きる」という言葉を使うことを避けていたんです。「このままでは嫌いになってしまうかも」という感覚を、飽きると形容しない。飽きる前に別のことに取り組む。そうやって「飽きる」こと自体を避けてきた。そういうめっちゃ細かい部分の、自分の心情に気づいた。「飽きる」と言っちゃっていいんだ、という発見がありました。 三浦さんと私とは、そういう部分も、作品をつくっていくなかでも、「違うな」と感じることが多くて、面白いです。 ジェロニモ 僕も芸人としてネタをつくったり舞台に立っていく中で、飽きるという言葉が自分から出るのってすごく怖いことだと思っていたんです。最初は好きではじめたことだし。だから、三浦さんが最初のテーマの時点から「僕はけっこういろんなものに飽きていて」とさらっとおっしゃるのが衝撃でした。飽きた上で創作に向き合うということを自分に課しているのかな、と。 あと、飽きるって「飽和」の飽でもあって、何もかもがサブスクで摂取できるコンテンツ飽和時代だからこそ、自分が何を面白いと思うのかを考える必要がある。そんな、いまの時代の話でもあるのかな、とも思いました。