島全体が泥水に…記録的な大雨に見舞われた与論島 住民が証言「これまでとは違う、異常な降り方だった」
9日未明から線状降水帯が相次いで発生し、24時間で594ミリの記録的な雨が降った鹿児島県の与論島は、雨水が流れ込んだため池は茶色に濁り、島全体が泥水に洗われたような様相になっていた。至る所でアスファルトがめくれ、道路を覆う土砂が、流れた水の威力を見せつけた。 【写真】浸水で使えなくなった商品棚を運び出す町民ら=10日午後3時20分ごろ、与論町茶花
10日、空路で与論島に入った。視界不良で航空機は雲の中を潜るように進み、島の全景を見る間もなく着陸した。この日は午前中に沖縄本島北部で記録的な大雨となり、奄美地方南部の海上にも発達した雨雲が次々に現れていた。 車で島を回ると、島の南部、与論町立長では、のり面が崩れ落ち、道幅いっぱいに広がった土砂と雑木が行く手を阻んだ。北部の同町那間では濁った水が路上を流れ、農地に流れ込んでいた。大きな山も川もなく、水源を地下水に頼る島では、普段目にすることのない光景が広がっていた。 最も大きな被害を受けたのは、同町茶花にある「銀座通り」。本土最南端だった1970年頃は、観光客がひしめき合っていたという中心街だ。通りは一時、1メートルを超す深さまで水に覆われた。一夜明け、両側に並ぶ店舗の経営者らが浸水した店の片付けに追われていた。 通りの裏手に住む福島敏男さん(79)は9日、胸近くまで水につかり、恐怖を感じて避難した。「消防車に来てもらってポンプで排水したが、追いつかなかった。自然にはかなわん。どうしようもない。きつかった」と話す。家財道具はほぼ水に漬かってしまったという。
近くの柳田絹子さん(73)方も床上浸水の被害に遭った。心配して泊まりに来ていた息子の国広さん(45)は「夜中、背中がぬれてきて目が覚めた。廊下に水が張り、程なく畳が浮いてきた。ふすまも浮き上がって外れ、いろんなものがプカプカ漂っていた。足を踏み外す恐れのないフローリングの部屋で水が引くのを待った。午前4時くらいに水が引き始めてほっとした」と振り返った。 40年近く営む花屋など、一帯で数店舗を経営する原栄徳さん(65)は「これまでは水に浸かっても30センチ程度。ここまで水位が上がったのは初めて。雨の降り方が異常だった」。近くの「アイランド園芸」の杉哲江さん(67)は「道路は120センチ、店の中は90センチまで水位が上がった。ソファも電話も冷蔵庫もだめになった」。朝から軽トラックで何往復もしてごみを捨てているという。 向かいのスーパーを経営する志摩晴文さん(69)は9日朝、明るくなった午前6時半ごろに店に来て惨状にがくぜんとした。「商品が散乱、冷蔵庫はひっくり返り、陳列棚の2段目まで泥水につかっていた。冷蔵の棚は、洗って乾かしてみないと使えるかわからない」と嘆く。
ただ、連日20人の町民が片付けを加勢し、「思ったより早く復旧できそう」と感謝する。与論高校2年の沖寧音さんは「いつもバレーボールでお世話になっている。恩返しになれば」と女子バレー部員7人で作業に加わった。 片付け作業中にも、時折激しい雨がたたきつけた。隣の沖永良部島では1時間に64ミリの非常に激しい雨が降った。誰もが経験したことのない異常な量の雨に、島民は「あっという間に水位が上がった」と口をそろえた。
南日本新聞 | 鹿児島