「トラウマは遺伝する」ことを示す研究が続々、ただし影響を元に戻せる可能性も
影響はいつまで受け継がれる?
私たち人間は寿命が長く、子孫が生まれるまでの時間も長いことを考えると、親から子に受け継がれるトラウマの影響を研究するには、1年に何度も子を産むマウスやラットを調べる方がはるかに楽だ。 南カリフォルニア大学発達神経科学・神経遺伝学プログラムの准教授ブライアン・ディアス氏は、一連の実験において、マウスにサクラの花のような匂いを嗅がせると同時に軽い電気ショックを与えた。するとマウスは、当然、その匂いを恐れるようになった。 意外だったのは、次の2世代のマウスに同じ匂いを嗅がせると、それまで嗅いだことのない匂いであったにもかかわらず、はっと驚いたことだった。 チューリヒ大学の神経エピジェネティクス教授であるイザベル・マンスイ氏は、マウスの母子分離が引き起こすエピジェネティックな影響について研究している。ある研究では、子マウスたちを生後14日目まで毎日3時間、予測できない時間に母親から引き離した。 この研究から、母親から引き離されたマウスとその子孫には、抑うつや記憶障害のほか、リスクを冒す行動(潜在的な危険を評価できない)など、多くの行動に変化が見られることがわかった。抑うつと記憶力の低下は第3世代まで続いたが、リスクを冒す行動が減りはじめたのは第5世代以降だった。 「いくつかの症状がこれほど長く続いたのは予想外でした」とマンスイ氏は言う。こうした症状が減ったとき、オスの子孫の精子と脳のDNAメチル化のパターンが変化していることも明らかになった。
エピジェネティックな変化を元に戻す
ここまで読んでエピジェネティックな変化が心配になった人もいるかもしれないが、予備的な証拠によると、この変化を元に戻すことができるかもしれないという。 マンスイ氏らは、生活環境を豊かにする「環境エンリッチメント」によってトラウマに関連した行動を減らせるかもしれないと考えている。 氏はいくつかの実験で、生後間もない時期にトラウマを負ったおとなのマウスを、他の多くのマウスと一緒に、回し車やおもちゃや迷路のあるケージに入れて飼育した。その結果、こうした刺激の多い環境で生活するトラウママウスは、標準的な環境で飼育されているトラウママウスとは違ってトラウマ行動の症状を示さず、その子孫のマウスも同様だった。 マンスイ氏は、環境エンリッチメントの恩恵を受けたマウスとそうでないマウスでは、ストレスに対する体の反応を調節する「グルココルチコイド受容体遺伝子」に違いがあることを発見した。これは、トラウマのエピジェネティックな影響が修正されたことを示している。 この研究で調べられたのはグルココルチコイド受容体だけだが、マンスイ氏はさらに他の遺伝子にも研究を広げており、近々新しいデータを発表する予定だ。 カナダ、マギル大学の薬理学教授であるモシェ・シフ氏は、生後間もない時期に母親から十分な世話を受けられなかったせいで不安の強いラットについて、DNAメチル化の影響を元に戻せることを発見した。 おとなになったラットに「トリコスタチンA」という薬を注射したところ、ストレスの兆候が少なくなり、普通に育ったラットのようにふるまいはじめたのだ。この薬は、マンスイ氏が調べていたグルココルチコイド受容体遺伝子のDNAの脱メチル化(メチル基を外すこと)も引き起こした。