巨人生え抜き最多の209勝 中尾碩志 3057登板回も球団最多記録
創立90周年を迎えた巨人。巨人での出場試合が多い野手、投手を中心に記録にも記憶にも残る歴代の「偉人」を紹介します。第8回は中尾碩志。 【写真】巨人・阿部監督が語る「ザ・ベストシーン」34万人が集結 09年日本一銀座パレード「ゾクゾクした」 * * * 金田正一の400勝は日本一の勝ち星だが、巨人で挙げたのは47勝。生え抜きに限っての最多勝は、209勝の中尾碩志(1939~47年は輝三)だ。 19年12月1日、三重県生まれ。京都商(現京都先端科学大付)から39年、巨人に入団した。沢村栄治と出身地も出身中学も同じであることから、沢村2世の触れ込みで3代目の背番号18を通算16年間背負った。1年目に12勝を挙げ、2年目から2年連続で26勝。39年11月3日に初めてのノーヒットノーラン、41年7月にも再びノーヒッターをやってのけた。剛球投手ではあったが制球は悪く、1度目は10、2度目も7つの四球(プラス1死球)を与えての達成だった。 戦争のため退団し、46年に復帰。48年には27勝で最多勝と最優秀防御率、最多奪三振と1リーグ時代最後の投手3冠に輝き、沢村賞も獲得した。その後、故障もあったが、53年に復活。55年に通算200勝に到達、209勝まで積み重ねて57年限りで引退した。516登板はチーム4位で、3057投球回は球団最多記録となっている。 引退後は投手コーチ、2軍監督、ヘッドコーチ、さらにスカウト部長を歴任した。77年死去。98年に野球殿堂入りしている。
報知新聞社