開戦から120年「日清戦争」ってどんな戦争?
今年は「日清戦争」からちょうど120年にあたります。中国では、2014年の年明けから中国政府やさまざまなメディアが日清戦争について発言しています。日中の対立が深まるなかで、この日清戦争が現在の東アジアや世界情勢においても大きな意味を持つからです。では、日清戦争とはどんな戦争だったのでしょうか。
日清戦争は、1894年から翌年にかけて、朝鮮半島をめぐって起きた日本と清(中国)の戦争です。背景にあったのは当時の東アジア情勢でした。そのころ、巨大な軍事力を持つロシアが勢力を東アジアまで広げようとしており、日本はロシアの力が自国に及ばないようにするため朝鮮半島への進出を考えていました。一方、当時の朝鮮は清の強い影響下にあり、内政にも干渉を続けていました。簡単にいえば、ロシアなど列強のアジア侵略に対抗して朝鮮半島を支配下におきたい日本と、朝鮮を自分たちの属国と考える清による“領土争い”、それが日清戦争だったわけです。 1894年に朝鮮南部で起きた農民の反乱をきっかけに日本と清の両国が出兵して始まった日清戦争は、日本軍の優位のうちに進みます。まず、9月に平壌と黄海の海戦で勝ち、10月に清の領内の遼東半島、翌1月には山東半島に侵攻し、3月には澎湖島を占領と、近代的な軍備を持つ日本が各地で勝利を収めました。翌年3月には清が降伏し、現在の山口県下関市で講和条約が結ばれます。その内容は、(1)朝鮮の独立を認める(2)日本に遼東半島と澎湖島、台湾を割譲する(3)日本に賠償金2億両を支払うこと。2億両は当時の日本政府の歳入の4年分以上にあたり、朝鮮の独立とは、清が朝鮮を属国とするのを放棄し、日本が朝鮮に進出するのを容認するという意味です。ただし、日本が清との戦争に勝ったことは欧米列強の警戒心を強めることになり、ロシア、フランス、ドイツは遼東半島の返還を日本に要求してきました。日本はこの「三国干渉」に屈して遼東半島を清に返還しましたが、以降、ロシアを仮想敵として軍備を拡張し、その後の「日露戦争」へとつながっていくのです。