第52代横綱・北の富士さん死去 長身と甘いマスクでも人気を集めた「プレイボーイ横綱」「夜の帝王」
大相撲の第52代横綱・北の富士勝昭さん(本名・竹沢勝昭)が死去していたことが、20日にわかった。82歳だった。現役時代は速攻相撲を武器に10度の優勝を達成。長身と甘いマスクでも人気を集め「プレイボーイ横綱」などと称された。引退後は親方として横綱千代の富士、横綱北勝海らを育成。退職後はNHK大相撲中継の解説者としてファンに親しまれていたが、体調を崩して昨年春場所から休養していた。角界全体が復帰を祈るなか、ついに帰らぬ人となった。 昭和の名横綱が、静かにこの世を去った。北の富士さんはNHK大相撲中継の解説者として活躍。明快かつ軽妙な語り口と、力士に対する厳しくも愛情ある解説でファンから絶大な支持を得ていた。しかし、体調を崩して昨年春場所から解説の仕事を〝休場〟。今年の名古屋場所初日にはVTR出演し、角界内外で本格復帰を待望されていた中、ついに帰らぬ人となってしまった。 北海道・美幌町に生まれ、中学時代は投手としてプロ野球選手を夢見ていた。しかし、肩の故障で投げられなくなり、関係者の誘いを受けて上京。出羽海部屋へ入門し、57年1月場所に本名の竹沢で初土俵を踏んだ。当初は細身で体重を増やすのに苦労した半面、果敢に前に出る相撲から将棋の「香車」に例えられた。やがて、左四つからの速攻相撲に磨きをかけて素質が開花。番付の階段を着実に上っていった。 一方で、大関時代には角界を揺るがす大事件もあった。67年1月場所後、入門に関わった九重親方(元横綱千代の山)が出羽海部屋の伝統を破って独立。一門から破門された。九重部屋の一員として臨んだ3月場所は初日から快進撃を続け、14日目に出羽海部屋の兄弟子・横綱佐田の山と初顔合わせ。同体取り直しの末に寄り切り、千秋楽も横綱柏戸を破って初優勝。師弟で涙する姿がファンの胸を打った。 70年1月場所後にはライバルの玉の海とともに横綱へ同時昇進。「北玉時代」が幕を開けた。しかし、玉の海は71年10月に急死。盟友を失ったショックもあり、翌年は不振が続いた。それでも、休場明けの9月場所は全勝優勝で復活し、一人横綱の責任を全う。74年7月場所の引退まで、通算10度の優勝を果たした。 現役時代は、土俵外でも世間の注目を集めた昭和のスター力士だった。185センチの長身で、甘いマスク。「プレイボーイ横綱」「現代っ子横綱」と称された。休場中にハワイでサーフィンに興じていたことが発覚して厳重注意を受けるなど、型破りな一面もあった。ネオン街をこよなく愛し、ついた異名は「夜の帝王」。歌唱力抜群で「ネオン無情」でレコードデビューも果たしている。引退相撲の断髪式後には、白いタキシード姿でマイクを握り、美声を披露した。 引退後は親方として横綱千代の富士、横綱北勝海らを育て上げ、指導者としても手腕を発揮。千代の富士の引退後は九重部屋を譲り、1998年1月に日本相撲協会を退職した。その後はNHK大相撲中継の専属解説者に就任。着物を粋に着こなし、時には真っ赤なレザージャケットで出演するなど見た目でも視聴者を楽しませた。しかし、そんな姿はもう見られない。
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