<ワン・ゲーム>いざセンバツ交流試合/中 鳥取城北と平田 独自大会へ気持ち一新 /鳥取
出場を決めながら春のセンバツ中止、さらに夏の甲子園も中止。コロナ禍で鳥取城北(鳥取市)と平田(島根県出雲市)の球児は絶望のふちに立たされた。だが両県は6月上旬までに独自の夏の大会を開くと決定。そして日本高野連は6月10日、センバツ出場校が阪神甲子園球場で1試合ずつ戦う交流試合の開催を発表した。【野原寛史、小坂春乃】 【真夏の熱闘】交流試合の写真特集はこちら 勝っても1試合だけ、無観客。例年の春や夏とは異なるが、聖地の土を踏める。センバツ交流試合開催を知った鳥取城北の士気は一気に高まった。3年生たちは「まず県独自大会で優勝。甲子園でも勝って笑って終わろう」「城北に来てよかったと言える夏にしよう」と声を掛け合った。 全国的にさまざまな部活動で、試合や発表の機会に乏しいまま引退を余儀なくされた3年生は多い。関係者の尽力で実現する県独自大会、さらに甲子園の1試合は、選手たちが「野球ができるのは当たり前じゃない」と気付くきっかけになった。 6月23日、野球部OBの政成(まさなり)晴輝さん(22)がグラウンドを訪問。難病で視力が低下して選手を断念しながらもノッカーなどで仲間を支え、卒業後はやり投げでパラリンピック出場を目指している。後輩たちに、今は肘のけがなどを抱えていると明かし「壁は何度でもある。壁にぶつかっても前を向いてほしい」と活を入れた。 山木博之監督(45)と選手がやりとりする野球ノート。政成さんの話を聞いて「今のままでは駄目だと感じた」「好きな野球をやれるのは普通のことではない」と内面を見つめ直す記述が目立った。 その頃から、行動が変わった。甲子園につながらない県独自大会は3年生を優先して出場させるチームが目立った。だが鳥取城北は「勝ちに行く」ために、3年生52人が自らの枠が減るのを覚悟のうえ、2年生の1番打者・畑中未来翔(みくと)外野手をメンバー入りさせるべきだと投票で結論を出したのだ。 7月18日。鳥取城北は県独自大会の初戦に臨んだ。目標は「圧倒して優勝する」。 ◇ 「甲子園で校歌を」。センバツ中止決定以降、3カ月にわたり封印していた合言葉が平田に戻った。センバツ交流試合開催決定を受け、植田悟監督(48)が保科陽太(ひなた)主将(3年)に手渡したのは、合言葉が書き込まれた練習用ボールだった。チームに明るい光がともった。 だが6月下旬に再開した練習試合では格下の相手にも負けが続く。休校期間中も個々に練習の手は抜いていないはずだったが、平田の最大の強みである守りがたびたび乱れた。仕上がりの遅れは明らかだった。