鹿児島県「徳之島・群島民のつどい」泉芳朗氏出身地で初開催 偲ぶ会
【徳之島】「奄美群島日本復帰71周年記念・徳之島 群島民のつどい」(泉芳朗先生を偲(しの)ぶ会主催)が25日、芳朗氏の出身地伊仙町の義名山公園「泉芳朗頌徳(しょうとく)記念碑像」前であった。縁者など関係者や島民ら約50人が参加。敢然と日の丸の小旗を掲げた「祖国復帰運動の父」の全身像を前に「日本復帰の歌」斉唱、詩の朗読、献花などで偉業をたたえた。 泉芳朗氏は伊仙町面縄の出身。同町では昨年12月24日に復帰70周年記念「日本復帰記念祭」を町総合体育館で盛大に開き、群島民一丸の奄美大島日本復帰協議会議長(当時名瀬市長)として先頭に立った芳朗氏の偉業を再考。その歴史と気概を未来につなぐことを決意し合った。 一方では、時代の変遷とともに「群島の若者たちの大半は泉芳朗が伊仙町出身と知らないのが現状」(大久保明町長)。その指摘に「泉芳朗先生を偲ぶ会」(楠田哲久会長)が呼応して奄美市名瀬のおがみ山にある日本復帰記念碑前と並行して今年初めて、出身町の頌徳記念碑像前でも計画した。 つどいは「日本復帰の歌」斉唱で開会。楠田会長(77)はあいさつで経緯に触れながら「群島民のつどいとしてやっと実現できました」。芳朗氏のおいで手記などを基に著書『泉芳朗の歩んだ道』をまとめた同会顧問の泉宏比古さん(66)=神奈川県=は「今後も資料を集めて芳朗がどんなことを考えていたのか調べたい。末永く見守っていただきそれぞれに思いをはせてください」と述べた。 献花や詩「断食悲願」を朗読。各町代表の大久保町長、森田弘光天城町長、福宏人徳之島町教育長のあいさつに続き、参加者たちがスピーチ。「井戸を掘った人を忘れてはならないことを若者たちに伝えよう」「12月25日を忘れないで、偉大な尊敬できる先輩がいたことを子や孫に語り継ごう」「団結して無血革命・非暴力を徹底して貫いた歴史を島おこしにつなげよう」などとアピールした。 当時の芳朗氏「万歳三唱のあいさつ」を再現して締めくくった。