「草津町長と性行為をした」元町議の証言が虚偽認定 「性加害の告発」の際に人々が持つべき“無知の知”という視点
リコールは「やり過ぎ」だった?
杉山弁護士:当時は、被害が真実である可能性も存在していました。 そして、被害を訴える側に味方する町議もおり、その背後には少数派の町民たちがいました。 狭い枠で多数派が少数派を力で制した時、外圧に頼るのは正当なことです。 また、暫定的な「バランス・オブ・パワー」の措置として、外部の人間が連帯を表明して肩入れすることにも正当性があったと思います。 私としては、町長側は町民の多数派から信頼を得ていたのですから、裁判によって民事的・刑事的にも対抗するまでで止めるのが正解だったと考えます。 少なくとも、リコールなどは、裁判の結果という客観的な評価を得てから行うべきだったでしょう。 この種の問題はあくまでケース・バイ・ケースで考える必要がありますが、たとえば、3月、性加害を行ったとして「準強制性交罪」などで刑事告訴されたサッカー選手の伊東純也氏が、告訴した女性を「虚偽告訴罪」で逆告訴して、2億円の賠償を求める民事訴訟を起こしました。 伊藤選手の対応には、特に問題はないと考えます。
「無知の知」を自覚する必要
――性被害事件や性被害の告発について、一般の人々が注意すべき点や取るべき適切な態度とは、どのようなものでしょうか。 杉山弁護士:まずは、事件の経過を見守ることです。 性被害が存在するのが事実なら、いたましいことです。しかし、同時に、冤罪もまたひどいことであります。 性被害は存在するのか、それとも告発された人は冤罪なのか、その分水嶺(れい)は、非常に繊細で曖昧な事実にかかっています。 裁判では「小さな真実」のために、一年以上の年月をかけて細かく事実を確認していくことになります。 一方で、事件報道とは、一部のマスメディアが特定のソースから聞き出した、一部の情報にすぎません。 こういった限られた情報のみをもって、裁判に勝る判断をできる人はいないでしょう。人々は「無知の知」(※)を自覚すべきです。 ※「自らの無知」を自覚することの困難さを説いた古代ギリシャの哲学者ソクラテスの言葉とされている。