【パリ五輪】体操男子の杉野正尭、挫折から這い上がり「世界一の努力」でつかんだ金…亡き父、愛する家族と歩んだ日々
大逆転は決して偶然や奇跡ではない。7月29日(日本時間30日未明)、パリ五輪体操男子団体総合で日本が中国との3点以上の差を最終種目の鉄棒でひっくり返し、優勝した。逆転の原動力となった杉野正尭(たかあき)(25)=福井県立鯖江高校出身、徳洲会=は、周囲が「世界一の努力をしてきた」と話すほど練習を重ねてきた。追い続けたのは鯖江高で競技に打ち込んだ2人の兄の背中。「この一本の練習が金メダルにつながる」。高い目標を掲げ続けた日々がついに報われた。 【写真】世界の頂点に立った杉野正尭 6種目目の鉄棒。杉野は高難度の離れ技を次々に決めた。着地すると、両手を下から振り上げて観客に拍手と歓声を求め、会場が沸く。流れが一気に変わった。次兄の広尭さん(27)=神奈川県=は「最高の舞台で最高の演技をしてくれた」。弟の姿を誇らしく見守った。 杉野は広尭さんと長兄の史尭さん(29)=三重県=の後を追うように、小学1年から地元三重県のクラブに通い始めた。2人が選手コースに進むと「兄にできることは僕にもできるはず」。小学3年ながら選手コース入りを果たし、周囲を驚かせた。 クラブの指導者が、当時鯖江高男子を指導していた田野辺満監督の大学時代の後輩だった縁で史尭さんは鯖江高に進学。広尭さんも続いた。中学3年になると杉野も「僕も本気で強くなりたい。強豪で自分の可能性を試したい」と夢を抱く。兄2人は「(鯖江高は)死ぬほどつらいけど、確実に体操はうまくなる」と背中を押した。 田野辺監督の下で体操の基盤を固め、鹿屋体大で力を伸ばした。しかし、悔しい思いは続く。僅差で東京五輪代表を逃し、世界選手権代表選考会を兼ねた昨年6月の全日本種目別選手権では、得意の鉄棒でミスが出て代表を逃した。帰路の東京・渋谷で人目もはばからず泣き、広尭さんに「もうどうしたらいいか分からん」と初めて弱音を吐いた。 「日本代表になるためには、誰しもが納得する選手にならないといけない」。広尭さんは懸命に励ました。「もっと体操自体を研ぎ澄まして極めていく必要がある。尋常ならざる努力の末に神がかった演技ができるようになる」 杉野は自らの内面と対話を繰り返した。広尭さんは「努力の方向が具体的になった」と振り返る。「目標に対しての戦略、必要となる技術、練習を理解し、正しい努力を積めるようになった。挫折からはい上がることを繰り返し、精神的に洗練されていった」。そして強さが備わった。 杉野が高校2年の時、父・忠さん(享年50)が大腸がんで亡くなった。史尭さんと広尭さんは「きっと父は見守ってくれたはず」。母・祥子さん(50)も見守る中、杉野は最高の結果を愛する家族にもたらした。
福井新聞社