大企業なのに急成長「リクルート」の業績が伸び続けるワケとは?
経営者や起業を志す人だけでなく、すべてのビジネスパーソンが「ファイナンス思考」を身につけられたら、未来を生き抜く武器になる。成長するビジネスが日本にも必ず生まれる。そんなメッセージが支持され、ベストセラーになったのが、『ファイナンス思考 日本企業を蝕む病と、再生の戦略論』(朝倉祐介著)だ。日本のビジネスに足りない、長期思考・戦略的・自律型の思考とは?(文/上阪徹、ダイヤモンド社書籍オンライン編集部) ● ファイナンス思考を駆使して転換を遂げたリクルート なぜ、日本からマグニフィセント・セブンのような巨大ベンチャーは生まれなかったのか。なぜ、日本人は懸命に頑張っているのに、日本経済は低迷してしまっているのか。なぜ、新しいものが日本からは生まれにくいのか。 まさに、これこそがその要因ではないか、と目から鱗のキーワードが展開されていくのが、本書だ。 著者の朝倉氏は、マッキンゼー・アンド・カンパニーを経て、のちにミクシィ社長に就任、業績を回復させた実績を持つ。 現在は「未来世代のための社会変革」をテーマに、シード・アーリーステージへの投資を行うアニマルスピリッツを設立、代表パートナーを務めている。 そんな朝倉氏が日本企業を蝕む病ではないかと指摘するのが、売上高や利益といった損益計算書(PL)上の指標を、目先で最大化することを目的視する、短絡的な思考態度「PL脳」である。 高度成長期には一定の合理性を持っていた「PL脳」だったが、変化の激しい時代にはそぐわなくなった。その呪縛を解き、価値志向、長期志向、未来志向で、将来に稼ぐと期待できるお金を最大化しようとする発想が「ファイナンス思考」だ。 一見、「会計に関する難しい知識が求められるのでは」と想像してしまうが、そうではない。実際、ファイナンスに縁のなかった一般のビジネスパーソンにも理解できる内容になっている。そして、そうしたビジネスパーソンこそ、「ファイナンス思考」を持つべきだと朝倉氏は説く。 実は日本でも、ファイナンス思考に基づく未来志向の経営を実践している企業もある。例えば、リクルートだ。 グローバル化に向けて、ファイナンス思考を駆使して大きな転換を遂げたのが近年のリクルートです。(中略) 創業から50年以上経つ老舗企業でありながら、精力的に新たな事業を生み出し続けているという点において、リクルートは事業の現場が極めて強い会社であるという印象をもたれています。(P.95) その一方、経営レベルでは2014年の上場をはじめ、ファイナンスを活用した積極的な取り組みを推し進めてきたのだ。 ● 年商が約70億円のインディードを1000億円で買収した この文章を書いている私は、実は1994年までリクルートで仕事をしていた。しかし、今や当時とはまったく違う会社になっている、という印象だ。 事業規模は数倍になっているが、それだけではない。何より、M&Aによって一気にグローバル化が進んだ。象徴的だったのは、求人検索サービスを展開するインディードの買収だった。これは、実に大胆な買収だったのだ。 買収金額は公表されていませんが、10億ドル(約1000億円)前後であったと推定されます。買収直前の2011年におけるインディードの売上は約8700万ドル(約70億円)程度。売上も利益もまだまだ小規模の会社を約1000億円で買収するという意思決定は大きなリスクを伴うものでした。(P.102)(編注:為替レートは当時のもの) この意思決定を可能にしたのは、リクルートが蓄積してきた事業ノウハウによる目利き力と、ファイナンス思考に基づく長期的な視点だったと朝倉氏は記す。両者が噛み合ったからこそ、できたものだったというのだ。 しかも、もう一つ、私自身も驚かされたのがこれだ。 またインディードが、リクルートが得意とするリクナビなど人材関連ビジネスの市場を奪いかねない事業であったことも、特筆すべき点です。既存事業とのカニバリゼーションを恐れず、テレビCMをはじめ、大規模なマーケティング予算を投じる姿勢からは、古いシステムのままのビジネスは、いずれ市場そのものが衰退するといった長期的な観点がうかがえます。(P.103) ともすれば、買収によって既存事業に大きな影響が及ぼされる可能性があったのだ。短絡的、短期的、目先で判断してしまうPL脳では、この買収を躊躇してしまったかもしれない。 しかしそうではなく、長期志向、未来志向のファイナンス思考で考えてみたからこそ、既存事業とインディード、どちらが成長可能性を持っているか、冷静に見極めることができたのだ。結果的にリクルートの傘下に入ったのち、インディードは大きな成長を遂げることになる。 その後も次々とM&Aを果たし、今やリクルートの売上は海外が5割以上になっている。 ● 日本の製造業史上最大の巨額の赤字を計上した日立 一方、伝統的な日本企業がファイナンス思考によって蘇った例もある。日立製作所だ。1910年の設立。10兆円規模の売上を誇り、30万人以上の従業員数を有していた日本を代表する総合電機メーカーだ。 しかし、改革が行われた2000年代後半まで、営業利益率は1桁台前半という低収益ぶりが指摘されていた。 そして、大きな特徴だったのが、子会社の多さだ。上場子会社も数多く、事業が肥大化していた。事業売却を進めるものの、その変化の度合いは大きな事業転換や買収によって成長を加速する外資系企業など競合と比べると、限定的なものだった。 リーマンショック後の2009年3月期、金融危機のあおりを受けて7873億円という日本製造業史上最大の巨額の赤字を計上する。 経営危機以前から、赤字事業の切り出しは懸案事項として意識されていましたが、多いものではひとつの事業に何千人もの社員が配属されているといった背景もあり、担当者の感情的な抵抗もあり、冷静な議論がなされないままに赤字が垂れ流されている状態でした。(P.135) 窮地を受けて、経営陣が刷新される。子会社の会長を務めていた当時69歳の川村隆氏が会長兼社長で出戻るという極めて異例のトップ人事だった。 川村社長は中核事業である「社会イノベーション事業」への経営資源の集中を宣言、インフラ事業とITとの融合を進めるとともに、子会社を整理するなど、採算性のない事業からの撤退を進めた。 日立は典型的な日本の大企業であり、かつての経営の意思決定では、OBまでも含めた合意形成を重んじる文化を有していました。図体の大きさゆえの意思決定の遅さを指して、「日立時間」と揶揄されていたほどです。そんな企業文化の下で、川村社長は2009年3月の就任後、わずか数ヵ月で長年の懸案事項であった子会社の取り込みに向けた指針を発表したのです。(P.137) 上場子会社の統合、コスト削減、非注力事業からの撤退を推し進める。一方で公募増資などで4000億円を調達。そして財務状況の危機が回避できても、改革の手を緩めなかった。 その後も、聖域なしで次々に非注力事業を切り出し、さらには経営改革を進めた。短絡的、短期的、目先で判断してしまうPL脳ではできなかった改革が、進められたのである。 上阪 徹(うえさか・とおる) ブックライター 1966年兵庫県生まれ。89年早稲田大学商学部卒。ワールド、リクルート・グループなどを経て、94年よりフリーランスとして独立。書籍や雑誌、webメディアなどで幅広く執筆やインタビューを手がける。これまでの取材人数は3000人を超える。著者に代わって本を書くブックライティングは100冊以上。携わった書籍の累計売上は200万部を超える。著書に『彼らが成功する前に大切にしていたこと』(ダイヤモンド社)、『ブランディングという力 パナソニックななぜ認知度をV字回復できたのか』(プレジデント社)、『成功者3000人の言葉』(三笠書房<知的生きかた文庫>)ほか多数。またインタビュー集に、累計40万部を突破した『プロ論。』シリーズ(徳間書店)などがある。
ダイヤモンド社書籍オンライン編集部