五社巴×深作健太 五社英雄と深作欣二、私生活もアウトローな映画監督を父に持ち。「母が失踪して父子家庭に…」「父は家では中村主水でした」
◆撮影現場で見た父の姿に…… 五社 健太さんが監督になりたいと言った時、深作さんはどんな反応でしたか。 深作 それが、5歳の僕に向かって、映画作りの本質を話してくれたんですよ。「いい現場は監督、演出家が暇になる時がある。映画作りはお祭りだから監督はその祭りの音頭取り。監督が気持ちよく踊っていればみんなが楽しくついてくるものだ」。当時は意味がわからなかったけど、今になってその言葉を噛みしめていますね。 五社 監督が撮影現場に入るとピーンと緊張感が走って、みんながその指示で動く。私もそんな父の姿を見た時は、やっぱり映画監督っていいな、やめられないだろうなって思いましたね。 深作 一瞬のシーンのためにみんな命を懸けてるから。僕は物心ついた頃にアウトローの生き方として若松孝二さん、長谷川和彦さんという監督の映画の洗礼を受け、何度も救われました。そんな中で親父の『仁義なき戦い』を見て感動したし、尊敬できる監督だなと思っていました。 五社 私はまったく父の仕事には興味なく、自由気ままな女子校生活を送っていました。 深作 ただ80年代になると、親父は自分の恋人と仕事をしていたので、僕は撮影現場に呼ばれなくなりました。でも86年かな。『火宅の人』という作品を親父が撮ったので、母と観に行ったんです。ところがこれが、とんでもない浮気告白の映画で。 五社 作品でカミングアウトしたんですね。(笑) 深作 ええ。当時の僕は思想的に左に傾いていた頃で、親父から大杉栄の全集を渡されていて。そこには自由恋愛、つまり結婚や男女の想いは何かに縛られるものではない、と書かれていた。作品で言い訳してるみたいだったけど、親父の考え方は一貫しているように見えました。 五社 そういえば、後に不倫関係になる女優さんを深作さんに紹介したのは、健太さんだったそうですね。
深作 とある舞台で主役を演じた女優さんに感動して、親父に教えたんです。ある日、父の宿泊先を突然たずねたら、その女優さんと一緒にいた(笑)。翌日、親父が「紹介したい人がいる」と彼女を連れてきて、3人で鍋を囲みました。それで親父のことは許せた。隠されたり嘘つかれたりするほうがイヤなんで。 五社 健太さんはそういうスタンスでしたけど、お母さんの気持ちは……。 深作 母はつらかったと思います。最初は母も、親父の作品のレギュラーとして一緒に作っていたのが、だんだん年を取っていくし、後輩たちと不倫されちゃうんですから。だからか当時、母はパジャマで外に飲みに行っちゃうぐらい、年中飲んだくれてました。 五社 うちの父は「女優さんには絶対に手を出さない」を徹底していた人だったので、噂になったことはないですね。ただ1回だけ、60歳でがんになった時に初めて、「実はおまえより年下の女優と付き合ってた」と告白されました。 自分ががんになって落ち込んでいた時に彼女にどれだけ支えられたかわからない、と。何でそんなことを私に告白するんだろうと思いました。 深作 お母さんとの関係はどうだったのですか。 五社 私が大学3年生の時、母の失踪という形で父は24年間の結婚生活に終止符を打ちました。それまで献身的に父に尽くしていた母が、実はホストクラブで遊ぶなどして大借金を作ってしまい……。 おかげで家も手放さざるをえなくなりましたが、父は母のことを戦友だと思っていたからか、「こういうことになったのは俺にも半分責任がある」と私に詫びました。