母親は“聖母”なんかじゃない。そのモヤモヤを考える ”私の40歳を探して”
人生の節目として意識してしまう「40歳」という年齢。39歳の今、仕事や恋愛、結婚など、さまざまな選択の岐路に立っていると感じる。これまで、独身・子なしである自身の考えを綴ってきたが、今回は、既婚・子持ち女性にスポットを当ててみたい。母になった友人たちは皆 “幸せを手に入れた”ようにみえる。だけどもしかしたら、そんな簡単なことじゃないのかも。世の中のいわゆる母親のイメージと現実とのギャップ、彼女たちにもモヤモヤやつらさがあるはずだ。そのリアルな声を聞くことで、気づくことがあるかもしれない。そして、それが子あり女性と子なし女性の分断の問題を、ほぐすきっかけにもなるような気がする。
子どもを持てば認められる?
本連載のVol.1で、独身子なしであることの不安や孤独について綴ったところ、既婚者や子持ちの女性からも「そのつらさ、わかる」という声をもらい、心強い気持ちになった。しかしそれと同時に「いや、そんなはずがない」と反発したい気持ちもあった。彼女たちは一人で過ごす絶望的に寂しい夜なんかないだろうし、不安な将来を共に支え合い生きていく相手もいる。老後は子どもが面倒を見てくれるから安心だし、何と言っても社会から認められ、歓迎され、守られているではないか、と…。 思えば私も、はっきりと子どもがほしいと思っていた時期もあった。当時、仕事も恋愛も、いろんなことがうまくいかないと感じていた。それで「子どもがいれば」と考えた。一度考え出すと、これこそが、今のつらさすべてを解決する最善策なんじゃないかと思えてきた。しかし、急に「子どもがほしい」と言い出した私に、ある友人は冷静に言った。 「それって、母という肩書きに安心したいだけでしょう」と。 頭に金だらいが降ってきたようだった。グワングワンとその言葉を反芻しながら、もっともだと思った。仕事で認められなくても、何者になれなくても、「母」になればいい。そうすれば、この自分の冴えない人生を塗り替えることができる。つまり、自分の自信のなさを埋めるために、そんな気持ちが湧いたのだ。 それ以降、そこまで明確に「子どもを持ちたい」と思うことはなくなり、そもそもこんなダメな人間が子どもを持てるわけがないという思いが年々強くなっている。情緒不安定でわがままで、自尊心が低くて…。今日まで生きてきて、自分が“難あり”の人間だということは、痛いほどわかっていた。こんなにも自分のことで精一杯な私が、子どもの面倒を見るなんて到底できるはずがない。世の中の母親はみんなちゃんとしている人たちばかりだ。自分はいくら頑張ってもそっち側にはいけないような気がした。