故郷内モンゴルの小さな町。中国のどこにでもありそうな町に変貌していた
日本の3倍という広大な面積を占める内モンゴル自治区。その北に面し、同じモンゴル民族でつくるモンゴル国が独立国家であるのに対し、内モンゴル自治区は中国の統治下に置かれ、近年目覚しい経済発展を遂げています。しかし、その一方で、遊牧民としての生活や独自の文化、風土が失われてきているといいます。 内モンゴル出身で日本在住の写真家、アラタンホヤガさんはそうした故郷の姿を記録しようとシャッターを切り続けています。内モンゴルはどんなところで、どんな変化が起こっているのか。 アラタンホヤガさんの写真と文章で紹介していきます。
今まで、12回にわたって内モンゴルの遊牧文化や遊牧民の日常生活や環境問題などを紹介してきた。そのほとんどはシリンゴル盟に拠点を置きながら撮影してきた。風景も美しく、その名は全国に知られている。そして、その政治的、経済的中心地にあるのがシリンホト市だ。 先述のエルド二・オボーから少し離れたところに「民族風情街」というモンゴル民族の伝統工芸や伝統衣装などを中心にした民族的な雰囲気が漂う商店街が作られた。 馬具である鞍、皮靴、ゲル用の木製品などを作る職人や金銀の彫刻が施されたナイフや頭飾りなどを作る職人も増えている。ここで店を構えながら、伝統文化を研究し、発展させる若者も確かに増えている。 市内の大学がこれらに関する専門コースを開き、人材作りにも力を入れているのは嬉しい。この商店街に来るたびに自分がモンゴルの町にいるという実感が湧いてくる。 私はいつもこの町にくると心が落ち着き、ここを拠点にしながら自分の撮影を続けていくのが何よりも楽しみである。 しかしその一方で、知らない新しい町のようにも感じる。子供の時に遊び、勉強した町とは何かが違うように感じる。内モンゴルの小さな町はいつの間にか、中国のどこにでもありそうな町に変貌していた。 シリンホト市は中国の経済発展に伴い、成長した。年々規模が大きくなり、人口が激増する中で、どうやってその少数民族としての要素を引き出し、自然と人間が調和した町作りをするのかということが大切になっていくと思っている。いつもモンゴル文化を誇りに思える町のままであってほしいと今は願うしかない。 ※この記事は「【写真特集】故郷内モンゴル 消えゆく遊牧文化を撮る―アラタンホヤガ第13回」の一部を抜粋しました。
---------- アラタンホヤガ(ALATENGHUYIGA) 1977年 内モンゴル生まれ 2001年 来日 2013年 日本写真芸術専門学校卒業 国内では『草原に生きるー内モンゴル・遊牧民の今日』、『遊牧民の肖像』と題した個展や写真雑誌で活動。中国少数民族写真家受賞作品展など中国でも作品を発表している。 主な受賞:2013年度三木淳賞奨励賞、同フォトプレミオ入賞、2015年第1回中国少数民族写真家賞入賞、2017年第2回中国少数民族写真家賞入賞など。