裏切り行為!? Jリーグ、移籍で物議を醸した歴代選手6人。今夏もあるのか…。サポーターの怒りを買った男たち
7月に入り、明治安田Jリーグの第2登録期間(夏の移籍ウインドウ)が開こうとしている。選手の動きもより活発になってくるはずだが、その全てがサポーターを納得させるものになるとは限らない。実際、過去には世間で物議を醸した移籍も多々あった。今回は、Jリーグ界をざわつかせた主な移籍をピックアップして紹介する(成績は『transfermarkt』参照)。
FW:興梠慎三(こうろき・しんぞう) 生年月日:1986年7月31日 移籍先:鹿島アントラーズ→浦和レッズ 移籍日:2013年1月 興梠慎三は、高校卒業後に加入した鹿島アントラーズで3年目からスーパーサブとして活躍し始めると、鹿島を代表するストライカーに成長。クラブのレジェンド・柳沢敦の背番号13を継承しJリーグ史上初の3連覇に貢献するなど、欠かせない選手だった。 しかし、2012シーズン、ジョルジーニョ新監督がワントップに大迫勇也を起用する機会が増えたことで、興梠は本職ではないサイドハーフに追いやられることも多かった。結局このシーズンはリーグ戦11得点と結果を残したものの、やはり扱いには不満があったのか、鹿島との契約延長には至らず退団。その後新天地に選んだのが、浦和レッズだった。 鹿島と浦和はリーグやカップ戦で何度もタイトルを争ってきたライバル関係にある。実際に当時は「禁断の移籍」とし、興梠の判断に対して様々な意見が出るなど、Jリーグ界がざわついていた。いかなる理由があろうとも、鹿島サポーターが元大エースを気持ちよく送り出せなかったことは確かだろう。 浦和移籍後は2017年にJ1ベストイレブンを受賞するなど、持ち前の得点能力を爆発させた。37歳となった今も浦和の戦力として活躍しており、クラブでの通算出場試合数は400試合を越えるなど、すっかり浦和の男というイメージが定着している。
FW:齋藤学(さいとう・まなぶ) 生年月日:1990年4月4日 移籍先:横浜F・マリノス→川崎フロンターレ 移籍日:2018年1月 ジュニア時代から横浜F・マリノスのアカデミーでプレーしていた齋藤学は、2009年にトップチームに昇格すると、愛媛FCへの期限付き移籍中に抜群の成績を残し、その後マリノスでもレギュラーに定着した。 快速ドリブラーとして、ワールドカップに臨む日本代表に選出されるほどの活躍をみせていた齋藤は、2017年にそれまで中村俊輔がつけていた背番号10を継承。キャプテンにも就任し、まさにマリノスの“新たな顔”となった。。このシーズンの途中に前十字靭帯を損傷したが、怪我が癒えればまたそれまでのパフォーマンスをクラブで見せてくれるとサポーターは信じていたはずだ。 しかし、齋藤はキャプテンと背番号10を託されたわずか1年後の2018年に、マリノスと同じ神奈川県に本拠地を置く川崎フロンターレへと移籍する。移籍先がライバルかつ前年王者、フリー移籍のため移籍金が0円、なによりチームの主将が抜けるという様々な要素が重なり、マリノスサポーターの怒りは頂点に。実際、当時はSNSなどで数々の心無い言葉を浴びせられていたと、本人が明かしている。 川崎F移籍後は思うような成績を残せず、2021年に名古屋グランパスへと移籍。その後韓国やオーストラリア、ベガルタ仙台でもプレーしたが、かつてのような活躍は出来なかった。現在はJ3のアスルクラロ沼津でプレーしている。