リーダーは「崩壊と再生の物語」を生きる
崩壊と再生の物語
道徳性発達理論は、私たちの頭の中の常識が根底から変わる一例です。 私たちは頭の中で「世界はこう回っていて、こう振舞えばうまく行く」という脳内モデルを常に構築し続けています。そして自分の脳内モデルにとって極めて不都合な何かが現れ、そしてその不都合と正面から向き合ったとき、これまでのモデルが一度崩壊し、そして新たな脳内モデルが再構築されます。 これがステージの変わるメカニズムです。 先日、カンヌ国際映画祭で4つの賞を受賞した濱口竜介監督の『ドライブ・マイ・カー』を観ました。そこでは主人公の精神世界の崩壊と再生が描かれていました。 印象的だったのは、亡き妻の秘密について主人公が語るシーンです。自分に嘘をついていた妻と、自分を愛していた妻。 「そのどちらも本当の奥さんなのではないでしょうか?」 そう問いかけられ、主人公は言います。 「僕は正しく傷つくべきだった。でもやり過ごしてしまった。僕は深く傷ついていた。気を狂わんばかりに。でも、だから、それを見て見ぬふりをしてきた。自分自身に耳を傾けなかった。(中略)僕は妻に会いたい。会ったら怒鳴りつけたい。責め立てたい。(中略)謝りたい。僕が耳を傾けなかったことを」 主人公の中でこれまでの捉え方が崩壊し、新たなとらえ方が再生された瞬間です。妻を愛していた自分と、激しく傷ついた自分。その両方を受け止める。白か黒かといった二律背反の基準ではやり過ごすしかなかった事象が、矛盾を受け入れることによって向き合うことが可能になる。意識の変化が物事への向き合い方を変えました。
これからのリーダーに求められるもの
リーダーをコーチするというのは、まさにリーダーたちが新たなステージに駆け上がることを支援する行為です。これまでは否定するか、やり過ごすしかなかった不都合に向き合い、そして新たなステージの脳内モデルを再構築する。その変化は、決して外から見てわかりやすいものではありません。ただ、リーダーたちが、明らかに世界を違うように見て、かつては矛盾ととらえていたものを内包し、対処できるようになっていくことを感じます。 これからのリーダーには何が求められるのでしょうか。 変化と多様性に向き合ったとき、それに対応したり対処したりするのではなく、謳歌することではないかと私は思います。 変化も多様性も、次々と自分の脳内モデルを危機にさらします。世の中の変化が早くなればなるほど、これまでの脳内モデルでは対処できない不都合が降りかかります。これからのリーダーは、かつてのリーダーとは比べ物にならないくらいのスピードで、自分の脳内モデルを壊しては再構築する、それを繰り返し行うことが求められるのではないでしょうか。 勇気をもって素早く、柔軟に。 そのプロセスを謳歌できるリーダーたちは、自分の正解を配下に強要する人ではありません。コンフリクトを恐れず様々な人たちと対話を交わし、他者から学び、自分の考えや行動を柔軟に進化させ、またそれが周囲の変化をも創り出す、そんなリーダーたちだろうと想像しています。