【実録 竜戦士たちの10・8】(6)249イニングを投げ抜き沢村賞に選出されたエース・今中慎二に忍び寄っていた影
◇長期連載「実録 竜戦士たちの10・8」(6)【第1章 FA元年、激動のオフ】 2年連続で森・西武と野村・ヤクルトの顔合わせとなった日本シリーズが西武球場で開幕した1993年10月23日、中日は高木守道監督が名古屋市中区の中日新聞本社を訪れ、加藤巳一郎オーナー(当時新聞社会長)にシーズン終了報告を行った。 前年の最下位から、最後までヤクルトと優勝を争っての2位。たっぷり1時間半に及んだ前日の巨人とは違い、こちらは終始穏やかなトップ会談となったようだ。 「2位だからよくやったとは思っていない。やはり、あそこまでいけば優勝しかなかったし、勝たねばいけなかった。きょう、オーナーにお会いし、『来年こそ、勝たないかん』という気持ちが、さらに強くなった」 高木が担当記者に囲まれている頃、西武球場では20人ほどの記者が“時の人”の到着を待ち構えていた。今回の日本シリーズ全戦でテレビ、ラジオのゲスト解説の予定が入っていた落合博満だ。
「日本シリーズが終わるまでは何もしゃべらんよ」。判で押したようにこう繰り返す落合だったが、担当記者との雑談の中で、今中慎二を先発に立てながら勝ち切れなかったヤクルトとの直接対決については雄弁に振り返り始めた。 この年、今中はヤクルト戦に8試合先発し防御率1・99。自身は4勝無敗だったものの、今中に勝敗のつかない4試合は打線の援護がなく、最後は救援陣も失点し1分け3敗とチームは勝てていない。落合に言わせれば、一番の原因は打者心理。「今中が投げるときは、『勝たなければ』という気持ちが強過ぎて点が取れない」というのが“オレ流”の分析だった。
その今中に朗報が届いたのが25日。投手にとって最高の栄誉である『沢村賞』に選出されたのだ。今中のほかに同僚の山本昌広、西武の工藤公康、近鉄の野茂英雄らがノミネートされたが選考基準である(1)25試合登板(2)200イニング登板(3)防御率2・50(4)15勝(5)勝率6割(6)10完投(7)150奪三振ーすべてをクリアしたのは今中一人だった。 だが31試合に登板し14完投で17勝。ここぞの場面では連続中4日も辞さず249イニングを投げた左腕に、目には見えない影が忍び寄っていたのも確かだ。今中にとって、この年が故障もケガもなく過ごした最後のシーズンになる。 「ひじに不安があったけど、今年は何の痛みも感じずに終わった。もう少しシーズンがあれば、まだ投げられるかもしれないですよ」 こう明るく笑うプロ5年目の22歳には、そんな先のことなど当然、まだ知る由もない。=敬称略
中日スポーツ