インスタ、X、フェイスブックでドヤっても「あなたの欲望には決して真の満足が訪れない」人が絶えず誇示へと駆り立てられるメカニズムとは?
嫉妬論 民主社会に渦巻く情念を解剖する #1
友人、同僚、見知らぬ他人をうらやましく感じた経験は誰しもあるだろう。「嫉妬」という感情が人々にどのよう作用し合っているか、数多くの文献や事象を考察しながら論じた書籍『嫉妬論 民主社会に渦巻く情念を解剖する』。 【写真】離婚騒動を巻き起こしたベルルスコーニ元伊首相
本記事は書籍より現代人がソーシャルメディアで繰り広げる「誇示行動」について説明した箇所を一部抜粋・再構成して紹介する。
ソーシャルメディア時代の誇示
現代社会は、大衆化の延長線上にある。こうした傾向に拍車をかけているのが、いうまでもなくマスメディアの発達である。 ただし、誇示の主要な舞台はいまやインターネットに移っている。とりわけSNSの爆発的な普及は誇示をめぐる風景を大きく一変させた。 ソーシャルメディアの登場は、私たちの振る舞いにどう影響しているだろうか。ここではアレクサンドラ・サミュエルの議論を見てみよう。それによると、第一に、ソーシャルメディア時代における「近接性(proximity)」の変化が指摘されている。 一般に、私たちは身近なものほど親近感を抱きやすいが、ソーシャルメディアは、従来であれば知らずに済んだ他人の生活を覗き見ることを可能にし、いまや私たちの視野に入る範囲は、事実上、無制限になった。 第二に、ソーシャルメディアは社会的障壁を無効にし、これが人々の比較を解き放つことになる。かつては自分と同じ階級、同族の範囲内に留まっていたが、会ったこともない、そしておそらく今後も会うことのない他人との絶え間ない比較が始まったのだ。 「さまざまな階級が競争と互いの比較をはじめるのは、既成の秩序が解体しつつあり、人間のあいだの差異が曖昧になるときである」(デュムシェル/デュピュイ『物の地獄』38頁)とは、まさに私たちの時代にこそ当てはまる。 そして最後に決定的なことに、かつて「持つ者」は「持たざる者」からの嫉妬を恐れ、富や成功を隠す傾向にあったが、ソーシャルメディアの時代にあって人々は自身の幸福をもはや隠そうとはしない。 それどころか、自身の幸福を過剰に繕い、実態以上に見せることすらある。「私たちは妬みを引き起こしかねないものを隠すという考え方をやめ、嫉妬されそうな経験や獲得を褒め称えるようになった」(Alexandra Samuel, “What to Do When Social Media Inspires Envy”, JSTOR Daily, 2018 〈https://daily.jstor.org/what-to-do-when-social-media-inspires-envy/〉)。これにより、自慢と嫉妬の弁証法は相乗的に加速するだろう。 こうして、「万人の万人に対する誇示状態」ともいうべき事態が到来した。新年度のいっせいの着任・異動報告をはじめ、助成金や賞の獲得実績の状況、回転寿司チェーンでの人生を張った奇行まで、人々は休みなく誇示へと強制されている。何がこれほどまでに私たちを駆り立てているのか。