「石破首相」の超早期解散で蘇る野田代表「悪夢の政権交代」の記憶
首相としてはあり得ない振る舞い
「解散について野田代表はやはり思い入れが強いのだと思います。首相在任中の2012年11月、当時の安倍晋三自民党総裁と党首討論で対峙した際に、自らその場で解散を明言しました。それ自体、首相としてはあり得ない振る舞いで、相手の安倍総裁も驚いたほどです。野田氏としては言わずにはいられなかったのでしょうが、結果、民主党は政権を失いました」(同) 当時の経緯を振り返れば、この年の8月、当時の民主、自民、公明の3党は社会保障と税の一体改革関連法案をめぐる修正、いわゆる「3党合意」を結んでいた。消費税率を5%から8%、そして10%に引き上げることを主として盛り込んでおり、それを踏まえて、野田氏は「近いうちに国民の信を問う」と発言していた。 「そのため“近いうち”について実際それはいつなのかということを随分詰められていました。自民党の谷垣総裁もそういった点を追及するのは苦手なタイプでしたが、それでも当時はしつこくやっていましたね。野田氏も忸怩(じくじ)たる思いを抱えていたのでしょう。さらに安倍氏に党首討論で詰められて、信を問うと“つい言ってしまった”感じでしたね」(同)
歴史に名が残る
この解散判断が民主党にとって大きな痛手となったのは歴史的事実である。党首討論での解散を巡る発言が局面を大きく変えたという経験が、今回野田代表が質問に立つにあたって念頭にあったのは想像に難くない。 当時、解散すれば民主党の敗北は目に見えていた。それでもなお野田氏が解散を口にしたのは、安倍氏の挑発に乗ったからというだけではない。ここも野田氏や周辺にとってはいまだ清算できていないトラウマかもしれない。 「野田氏は首相になる前に財務相を経験し、財務省幹部に財政再建の重要性とそのために消費増税が必要だということを説かれています。それは野田氏に限らないのでしょうが、特に野田氏に対しては、財務官僚は、消費増税を実現すれば“歴史に名が残る”などと言い、政治家としてのやりがい、成果の意義を訴え、説得したと聞いています。野田氏はそれまで頑強な財政再建論者であったことはなかったはずですが、ある意味で洗脳されていったのでしょう。そのため、安倍氏との党首討論では消費増税で国民に負担をお願いするのだから国会議員も議員定数を削減するという痛みを受け入れるべきだという提案をして、それを飲んでくれるなら解散してもいいと言い放ったわけです。その後、今日に至るまで野田氏は財務省寄りの政治家だと見られ続けるようになりました。これは野党代表としてはプラスとは言い難い」(同)