復興元年「能登駅伝」の復活を示唆
北陸朝日放送
馳知事は6日に開かれた年頭の記者会見で、 能登半島における創造的復興の1つとして、 1968年から10年間開催された「能登駅伝」の復活を掲げました。 馳知事は職員に向けた年頭の挨拶で創造的復興元年をスローガンに、 経済成長戦略やふるさと教育など5つの目標を挙げました。 そのあと開かれた記者会見で創造的復興の具体案が示され、 1968年から1977年までの10年間、能登半島を舞台に開催されていた 「能登駅伝」の復活を掲げました。 能登駅伝は富山県高岡市を出発し能登半島を一周する形で金沢を目指すもので、 約350km、26区間を3日間で走破するという 当時は日本一過酷な駅伝と言われていました。 参加は大学生が基本です。 コースなど大枠についてもすでに検討を始めていて、数年後の開催を目指します。 能登駅伝は1968年、能登半島が国定公園に指定されたことを記念し 始まったものです。 77年まで10年間続けられ、その後は経済的理由で開催されませんでした。 コースは富山県高岡市を起点に能登半島を1周する形で金沢まで26区間、 約350kmを3日間かけて走破。 当時、箱根・伊勢駅伝とともに、学生三大駅伝のひとつに数えられ、 距離の長さから「日本一過酷な駅伝」とも言われました。 復活に向けた課題は道路などインフラ整備、宿泊施設の復旧と確保、 開催資金をどうするかなどありますが、 知事自身は、ほかの大学駅伝を鑑み大会を2日間にし、 スタートを七尾、ゴールを志賀町に設ける案を提案したいと話していました。