高校生らが名古屋市に訴え実現した慰霊の日「なごや平和の日」 5月14日に決まったのは名古屋城の炎上
5月14日は「なごや平和の日」。太平洋戦争中の空襲犠牲者の追悼などを目的に、名古屋市が今年、条例で日を決めました。 【動画で見る】高校生が奮闘 名古屋空襲を後世に伝える 名古屋市は今年から5月14日を「なごや平和の日」としました。 太平洋戦争中の空襲で命を落とした8000人近い市民らを悼み、悲惨な戦争の体験・記憶を後世に語り継ぐためです。 太平洋戦争中の1942年から1945年の3年あまりの間に、アメリカ軍は軍用機生産の一大拠点だった名古屋に、あわせて63回の空襲を行いました。 ただ、これまで名古屋市として犠牲者を悼み、後世に記憶を継承する日は定められていませんでした。
「名古屋空襲慰霊の日」の制定を市に訴える
市民全体で慰霊する日がない―― その状況を変えようと、名古屋市名東区の東邦高校の生徒たちは2014年から「名古屋空襲慰霊の日」の制定を市に訴えてきました。 学校の前身である東邦商業学校の生徒らは1944年12月、学徒動員先の工場で罹災し、約20人が犠牲になっていました。 慰霊の日制定実行委員会の一人、東邦高校の高橋愛奈さん。 市が主催するワークショップに参加したり、平和への発信を続ける広島を訪れたりしてきました。 「制定後に名古屋空襲は、実際にどのようなことがあったのかを、深掘りしていけるようなシステム、取り組みをできるようにしていきたい」(去年8月 東邦高校 高橋愛奈さん)
焦点となったのは「いつにするべきか」
長年の活動が実り、名古屋市は去年「平和の日」制定にむけた協議会を設置。 焦点となったのは「いつにするべきか」でした。 示された候補日は、主なものだけでも5つ。 B29による初めての空襲があり、学徒動員の生徒たちも亡くなった「12月13日」。 負傷者数や被害戸数が最も多かった「3月19日」。 名古屋城天守閣が焼失した「5月14日」。 最も多くの爆弾が投下された「5月17日」。 最も多くの犠牲者が出た「6月9日」。 高校生らも参加して、去年8月にあった市主催のワークショップでは、B29による初空襲のあった12月13日を求める声が目立ちました。