「眠狂四郎」の無慈悲でさめたニヒリズム感、異色の現代劇でも発揮 1966年、増村保造監督「陸軍中野学校」
【映画デビュー70年 市川雷蔵のきらめき】 市川雷蔵の「眠狂四郎」について、先輩の勝新太郎は「眠狂四郎に限り、鼻の下がちょっと長くなるのね。死相を出すというのかな、人間が死ぬ時の顔だね、あれは」といっている。甘いマスクが逆に損をしているとみられていた雷蔵は自己流でニヒリズム感を会得したわけだ。 「立ち回りも、雷ちゃんは殺陣でもなくセリフでもなく、顔で斬ってたよね」と感心していた。 そんなニヒルさの延長線上にあるのが「陸軍中野学校」(1966年)。泣く子も黙る大日本帝国陸軍のエリートスパイを養成する諜報機関の学校だ。 雷蔵にとっても異色の映画だ。これまで時代劇スターとして君臨していた俳優が現代劇の主役、それもスパイものだから異色というほかはない。 激動の昭和史を語る上で欠かせない本作で、雷蔵演じる三好の究極の冷酷さはいいなずけの雪子まで平気で毒殺してしまうところだ。まさに「眠狂四郎」の無慈悲でさめたニヒリズムと共通する。誰にも言えない苦悩を胸に秘め、それを芝居に昇華させている。 雷蔵は中学をやめて家でゴロゴロしていた時に漠然と芸能界に興味を持ったと語っていた。海軍士官や医師になりたいという夢も持っていたが、視力がよくなかったことで断念したそうだ。このシリーズで士官になれてひとつ夢がかなったわけだ。雷蔵が引き受けた理由が分かる気がする。 ちなみに雷蔵はメーキャップの天才だった。最初、長谷川一夫に教わっていたが、やがて自己流に。普段は地味だが、メーク後は周囲もびっくりするほど華麗に変身する。地味な銀行員が突然派手な歌舞伎役者になるのだから、たまげたのも当然だろう。 雷蔵の死後から5年たった74年、ファンクラブ「朗雷会」が発足した。ファンにはインテリ女性が多く、ほかの俳優のファンクラブのようにキャーキャー騒ぐ人は見当たらなかったそうだ。これもファンは雷蔵の演技や人間性にひかれたからのようだ。 2014年の「キネマ旬報」のアンケートでは、好きな日本映画の男優部門の3位に輝いている。その人気の根強さがうかがわれる。 (望月苑巳)