異例体制。なぜ鹿島アントラーズは歴代最年長主将に内田篤人、最年少10番に安部裕葵を指名したのか
固定背番号制が採用された1997シーズン以降で、安部はMFビスマルク、MF本山雅志、MF柴崎岳、そして金崎に続く5代目の「10番」となった。1996シーズン以前の変動背番号制時代に「10番」を背負った神様ジーコやレオナルドを含めて、十代で拝命した選手は安部だけとなる。 「年齢という部分に対する不安は、僕のなかではないです。彼自身がプレッシャーを感じるかもしれないけど、それをしっかりと受け止められるパーソナリティーももっているので」 広島・瀬戸内高から加入して3シーズン目。中学時代に所属した帝京FCジュニアユースが、途中から本田圭佑のマネジメント事務所HONDA ESTILOの傘下となり、チーム名称もS.T. FOOTBALL CLUBへと変わったなかで、本田の生き様や哲学に触れた安部はこんな言葉を残したことがある。 「夢をもって、それを周囲に言って、自分の逃げ道をなくす。素晴らしい考え方だと思いましたし、同時に強い人間じゃなければできないことだと思いました」 20歳とは思えない思考回路は、託された「10番」に対する思いからも伝わってくる。安部は「別に何も感じていない。チームが勝てばそれでいい」と不敵な言葉を紡いでいる。 「ジーコさんから金崎選手までさまざまな方がいたなかで、誰のことも思い浮かべることなく、僕は僕らしく『10番』像を作っていけばいいだけなので」 栄光の「10番」の変遷を見れば、2代目の本山が14年間にわたって背負ったのに対し、3代目の柴崎は拝命からわずか1年でスペインへ新天地を求めた。海外移籍が加速するなかで、非凡なセンスをもつ安部にもいつラブコールが届くかわからない。再び大岩監督が言う。 「もしかすると彼も短いスパンかもしれないけど、それでも重みのある『10番』にしてほしい。シーズンが進んでいくなかで、彼やチームの調子が悪くなったときにどのように振る舞えるか。そこで本当の部分が見えてくるし、僕としては若い彼を引っ張りあげるのではなく、しっかりと支えてあげたい。鹿島アントラーズの日常に流れている、緊張感や勝利へのこだわりという空気を感じて、思い切り吸い込みながら受け継いでいってほしい」 ワールドカップ・ロシア大会直後にDF植田直通がベルギーへ、オフにはDF昌子源がフランスへ移籍。DF西大伍もヴィッセル神戸へ新天地を求めたなかで、内田と安部を中心に大きく生まれ変わろうとしている常勝軍団は、ニューカッスル・ジェッツ(オーストラリア)をホームに迎えるACLプレーオフから、連覇がかかったACLを含めた四冠独占へ向けた大航海へ出航する。 (文責・藤江直人/スポーツライター)