「東大生は優秀ではありませんでした」生活保護世帯から数学者になった男が感じた同級生との強烈な“ずれ”とは…「この事実に私は落胆し、怒りを覚えました」
学力以外では尊敬できた学友
あるいは同級生のこんな行動力を目の当たりにして、R.Shimada氏は学力以外にも尊敬できる面のある頼もしい学友の存在に気づいたという。 「私は1~2年生のころ、三鷹寮に住んでいました。先ほど、主に駒場キャンパス(教養学部)に通う学生の寮として三鷹寮があるとお話しました。しかし正確には、駒場キャンパスに通うのは、教養学部の学生のほか、数学科の学生もいるのです。 当時の東大の寮の規則では、三鷹寮に住むことができるのは、教養学部に通う学生だけだとされていました。確かに三鷹寮に住む学生と駒場キャンパスに通う学生はほぼイコールです。しかしそれでは、数学科の学生たちは通うキャンパスが変わらないのにもかかわらず、住む寮を変えなければなりません。 簡単に住む寮を変えると言っても、寮からキャンパスまでの定期券代や通学時間など、変わってくるものがたくさんあります。私は金銭的にも時間的にも切り詰めた生活をしていましたから、それを微細な変更だと受け流すことができず、やはり怒りを覚えました」 厳密にはそうした呼び方ではないが、当時、R.Shimada氏は副寮長のようなポジションだった。同じく寮長のようなポジションにいた同級生は学業成績こそR.Shimada氏におよばないものの、行動力にあふれたリーダーの素質を持っていたという。 「その彼は大学側と何度も交渉を重ね、現行制度がいかに不利益に働く学生もいるのかということをしっかり理解してもらう努力をしていました。大学の規則はかなり堅牢で、簡単に崩すことはできません。 しかし、彼の粘り強い交渉と態度によって、職員らにも問題意識が共有され、結局、数学科の学生に関しては寮を引っ越す必要がなくなったのです。これは当時、画期的なことでした。 不条理な現実があったとき、私は怒りが先行して、問題解決のためにどのように立ちふるまえばよいかまで考えが回りませんでした。寮長的な存在の彼が職員たちを相手に見事に自分たちの要求をするりと通したとき、『絶対に解けない』と思っていた数学の問題を目の前で解かれたような、そんな感覚を覚えました」 noteで読むR.Shimada氏の活字は常に怒っている。著しく傾いた世の中にも、それを是正しないエスタブリッシュメントの怠惰にも。理路整然と、正しく怒っている。そしてその怒りを社会は受忍し、真摯に向き合うべきだろう。 アカデミズムで活躍が期待される気鋭の研究者が社会格差にもがき苦しんだこと。そして若き才能が抹消される危機に瀕することのない社会を願って声をあげたことの意味は、途方もなく大きい。 「東大は、どんな場所でしたか」 昔の頼もしい仲間たちのことを話す瞬間だけは、その抜き身の刀のごとき舌鋒の音色がわずかに落ち着き、目尻がたおやかな弧を描いた気がした。 取材・文・写真/黒島暁生
黒島暁生