“地上の楽園”信じて渡航 「帰国事業」脱北者が悔しさ語る《新潟》
「楽園」と信じ、新潟港から北朝鮮へ渡った帰国事業から65年。現地で亡くなった人たちをしのぶ追慕式が開かれました。 かつて北朝鮮への船が出航していた新潟港。 追慕式には脱北者など50人が集まり北朝鮮で亡くなった人、そして現地に取り残されている人に思いを馳せました。 65年前… 日本で差別や偏見で就職さえ難しかった在日朝鮮人などが豊かな生活を夢見て北朝鮮に渡った「帰国事業」。 1959年12月14日、第一便が新潟港を出港しました。 当時、北朝鮮は「地上の楽園」と宣伝され多くの人は憧れや希望を抱いて事業に参加したと言われています。 しかし実際は… 〈脱北者 川崎栄子さん〉 「自由の世界日本から完全な自由も人権もない北朝鮮に放り出されたときの絶望感、悲しみ、どうしていいか分からなかった」 川崎栄子さん82歳。17歳で北朝鮮にわたりました。楽園と信じた北朝鮮で待っていたのは自由も人権もなく過酷な生活を強いられる日々でした。 〈脱北者 川崎栄子さん〉 「この社会の一番下に置かれた在日コリアンの立場で本当に一日一日命をつなぐのが大変な状況の中でいつ言いつけられるか密告されるか分からない中で43年を生きました」 厳しい監視をかいくぐり脱北できたのは60歳の時でした。 〈脱北者 川崎栄子さん〉 「約10万人の在日北送者の中で脱北という方法で命からがら帰国した人は0.1%にも満たない」 川崎さんの子どもなど14人の家族もまだ北朝鮮に残されています。 〈脱北者 川崎栄子さん〉 「悔しいというそんな気持ちじゃないどうしていいかわからないもどかしさの中で生きている」 「帰国事業」は開始から25年間で在日朝鮮人や日本人の妻など約9万3000人が参加しました。 〈脱北者 川崎栄子さん〉 「ここから船に乗っていた人たちはほとんどがお亡くなりになったと思います。魂だけでもかえってきてください。毎年私たちは追慕式をここで行いますのでこの日だけでも日本に戻ってきてください」 参加者は事態の進展を求める願いを捧げていました。