千鳥も脱帽した「第2のアンミカ」の“ロケ”スキル サウジアラビア大使館の人と「何語か分からへん言葉で2時間」
アパレルの会社を経営
――20代は美容のことが中心で、30代はどのような活動をしてきたのでしょうか。 美容以外にも、自分でアパレルの会社を経営していました。今はほかの人に任せています。 ――芸能活動を始めたのはいつ頃ですか。 20代半ばです。初めては関西テレビの夜のバラエティ番組に出させていただきました。 ――話術はどこで鍛えたのでしょうか。 話術というより、自分としては特別なことではなく、普通のことなんです。それは、どこの国に行っても同じです。この前もサウジアラビア大使館の人と、何語か分からへん言葉で2時間ずっと喋ったりとかしました(笑)。もう、心で話しているような感じです。 ――やはり、話が上手で情熱がある点は、アンミカさんに似ていますね。 そうなんですよね。「“ジェネリック”アンミカ」と言われたりもします(笑)。番組では大吾さんに「安いアンミカ」と言われました(笑)。あんな立派な方の名前にたと えていただけるだけで感謝です。 ――「パッション」というフレーズはどこから出たのでしょうか。 大学生ぐらいの時から「パッション」「パッション」と言っていたようなんです。情熱があればなんでもできると思うんですよ。どんなに大きい氷山でも強い情熱で、絶対融けると思っています。大きな壁は跳び箱や、という気持ちで、皆さんと一緒に飛び越えていきたいですね。 後編【同志社女子大時代は飛び込み営業1日40件 22歳で結婚、29歳で離婚、韓国で騙し合い…「第2のアンミカ」が明かす壮絶人生】へつづく
デイリー新潮編集部
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