新型コロナ研究がもたらした基礎研究の新しいあり方。アカデミアとプレプリントとSNS(後編)連載【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】
それはなぜか? 有事の中でガセネタばかりツイートするアカウント、毎回有益な(つまり、「科学的に正しい」)情報を発信するアカウント、というのは、自然と選択・淘汰されていく、ということである。 有益な正しい情報を発信するアカウントから提供されるプレプリントは、仮に「査読」という審査を経ていなくとも、「彼らから発信される情報は正しいはず」という信頼感や安心感が生まれ、共有されていく。 このような信頼感や評判のことを「レピュテーション(reputation)」と呼ぶが、この新型コロナパンデミックにおける「プレプリントをSNSで共有する」というシステムは、このレピュテーションによって形作られていったものだと言える。 その「レピュテーション」のおかげで、この連載コラムの第17話で紹介したように、有事中の有事の研究成果であったG2P-JapanのオミクロンBA.1のプレプリントは、「bioRxiv」のような公式なプレプリントサーバーすら使うことなく、ラボのGoogleドライブに載せて、それを私のラボのツイッター(現X)のアカウントで発信することで、わずか数週間で300万回以上閲覧されるほどに拡散された(そしてその研究成果は、その後『ネイチャー』に掲載された)。
■これからの「アカデミア」のあり方 今回、前編・中編・後編の3編に分けて紹介した、新型コロナパンデミックが「アカデミア(大学業界)」に与えた影響であるが、これが「パンデミックの中でパンデミックウイルスの研究をする」という事情から生まれた特殊なモノであることは承知している。 これはもちろん極端な例ではあるが、この連載コラムの第6話でも紹介したように、プレプリントを介してSNSなどの一般社会へ情報を発信する、という基礎研究の新しいあり方が示された、という意味では、アカデミアにとっても一般社会にとっても、新しい発見だったのではないかと思う。 「アカデミア」と聞くと、なにか高尚かつ清廉潔白なイメージ、あるいはキテレツ奇想天外な場所だという印象を持つ人もいるかもしれない。しかし、アカデミアとは決してそのような場所ではないし、そうあるべきではないと個人的には思っている。 アカデミアは、世間と隔絶された静謐(せいひつ)な場ではなく、社会へと開かれ、社会とより密につながる場となるべきではないだろうか。私は新型コロナ研究を通してそんなことを学んだと思うし、そのような気づきが、私の筆を『週刊プレイボーイ』に向かわせたのではないかとも思っている。 文/佐藤 佳 イラスト/PIXTA