「藤竜也さんとの対峙はまさに“居合”でした」森山未來が語る「演じること」と「踊ること」
イヨネスコの戯曲と重なる、卓の父・陽二の物語
――今作のオープニングとエンディングには、卓が俳優として参加する舞台劇のワークショップのシーンが配されています。森山さんとしてではなく、ご自身が演じる卓として「演じる」という行為は、難しくはありませんでしたか? あのシーンは、卓という存在をキャラクター付けするという意味で、非常に重要でした。劇団Qという実在する劇団を主宰する市原佐都子さんに僕が演じる卓が参加しているという設定で、本当に1日だけのワークショップを開催してもらい、それをドキュメンタリーのように撮影してもらいました。 演じている作品は、ウジェーヌ・イヨネスコの『瀕死の王』という戯曲です。自分の死を目前にした老王・ベランジェ1世が、どんどんいろんなものを剥がされていく物語で、卓が直面する老父・陽二との関連性を示唆するものであったり、俳優である卓が戯曲上のキャラクターを演じるという要素が含まれていたり、いろんな入れ子構造になっています。作品のなかでもかなり重要なシーンになったと思っています。 ――リアルなワークショップだったのですね。 あのシーンに関しては、脚本は一切なく、ワークショップ内のどのシーンをどういうふうに切り取るかも事前に決まっていませんでした。だから市原さんと対話しながら、実際にイヨネスコの『瀕死の王』を創りあげていきました。 あのワークショップのシーンを出すことで、卓が脚本を読むだけではない、もっと能動的にクリエイトする俳優なのだと印象付けることができたのかなと。 ――映画の最初と最後に出てくるワークショップのシーンは、「同じ時間に同じ人物が演じたワークショップをただ前後に分けただけ」とは思えないほど、まるで違った印象を受けました。 それは編集の妙です(笑)。演じている側も撮影している側も、何が起こるかわからないという状況のなか、ドキュメンタリーとして撮影している合間に撮影したカットが、たまたまそう見えたということなのだと思います。 ただ、イヨネスコの戯曲自体が、陽二さんの物語と重なるところがあるので、どのように切り取られてもきっとそう見えるようになるのだろうなというのは、演じながら感じていたところはあります。