考察『光る君へ』16話 『枕草子』づくしの華やかな宮廷サロンの影、都には「疫神が通るぞ」…極楽に清少納言、地獄に紫式部
疫神が通るぞ
安倍晴明(ユースケ・サンタマリア)「門を閉めろ。誰も外に出てはならぬし、入れてもならぬ。今宵、疫神が通るぞ。疫病の神だ」 パンデミックを経験した私たちならわかる。晴明が言うこれは感染症対策だ。 『栄花物語』はこの正歴5年(994年)、 ……春より煩ふ(わづらう)人多く、道、大路にもゆゆしき物ども多かり (春から病気になる人が多く、道にも大路にも、遺体が数多く転がっている) と記している。この時、多くの命を奪った疫病は疱瘡(天然痘)ではとされるが、ドラマ内では咳と発熱を伴う感染症として描かれる。新型コロナ禍を思わせる仕組みだ。
極楽と地獄のそれぞれに
両親が体調を崩し、悲田院に行ったまま帰ってこないと途方にくれた、たね(竹澤咲子)がまひろを訪ねてくる。 悲田院は奈良時代、大仏を造立した聖武天皇の皇后・光明子(こうみょうし)が皇太子妃時代に、貧しい人たちを救済する為に施薬院(せやくいん)と共に設立した福祉施設である。聖徳太子が設立した説があるが、記録として残っているのは光明子によるものが一番古く、その後平安時代にも受け継がれた。 しかし、この作品内では、悲田院に人が押し寄せても、役人のやることは遺体の運び出しのみのように見える。薬師(医療従事者)は忙殺され、あきらかに人手が足りていない。 医療が未発達のこの時代にできることは限られ、そして当時の考え方であれば道隆が比叡山に読経を命じることは、十分に政府としての役目を果たしている。 ただ現代人の目線では他になにかやれることがあるのでは……と言いたくなる。たねのように親が病に倒れた子らの面倒を見るとか。食料を配るとか。しかし人を集めればまた感染が拡がる……なんとももどかしい。 たねも両親の後を追うように事切れる。今際の際に呟くのは「あめ、つち……」。 まひろとの学びの時間はたねにとって、よほど忘れられない、幸せな時間だったのだろう。文字は彼女を、よりよき人生に導いてくれるはずだった。 前半で、中関白家の築いた美しい内裏の様子を見せてからの、この地獄のようなありさま。 ちなみに光明子は藤原不比等の娘、藤原氏から出た皇后第一号である。その光明子の設立した悲田院が、同じく藤原氏が掌握した、藤原氏の后を戴く世で放置状態なのは、意図した構図だろうか。 サブタイトルは「華の影」。定子のいる登華殿、中関白家の栄華の影に、民の苦しみがある。そしてその極楽と地獄のそれぞれにいる、平安文学の2大巨頭・清少納言と紫式部。 ドラマとして面白い。