400年の歴史の重みを勇壮に、コミカルに…加治木太鼓踊りと吉左右踊り 沿道一体、戦国の雄・義弘の遺勲をしのぶ
きらびやかな衣装と化粧姿の大人や子どもの踊り手が、鉦(かね)や太鼓を軽快に打ち鳴らし勇壮に舞う。8月16日、鹿児島県姶良市加治木で夏の風物詩「加治木太鼓踊り」が盛大に行われた。笠(かさ)をかぶり、太鼓や飾り、ひげなどつけた踊り手の隊列が練り歩く。沿道に詰めかけた大勢の見物客も一体となってにぎわいを演出する。 【写真】朝鮮出兵の合戦を表したとされる吉左右踊り。特徴的な容姿が往事をほうふつとさせる=8月16日、姶良市加治木の仮屋馬場通り
加治木ゆかりの戦国武将・島津義弘が、朝鮮出兵の凱旋(がいせん)記念と疫病を鎮めるために家臣に習得させたと伝わる由緒ある伝統芸能。約400年の歴史がある。早朝、精矛(くわしほこ)神社=同市加治木町日木山=に反土(たんど)と木田の両地区、春日神社に西別府と小山田の両地区の合わせて四つの保存会が集結。各々踊りを奉納した後、加治木島津屋形跡前の「仮屋馬場」通りへ繰り出した。先導役のホタ振り、陣がさや陣羽織の鉦打ち、鶏の羽を飾った太鼓打ち-が、リズミカルなステップを踏みながら、みやびな踊りを披露した。 太鼓踊りに付随する形で披露される吉左右(きそ)踊りは西別府地区だけに伝わるもので、薩軍と朝鮮軍の合戦を表しているという。顔を半面ずつ紅と炭、白と紅に塗り分けた紅白のキツネ役2人が、コミカルに踊り絶妙な掛け合いを展開しながら観客も巻き込み笑いを誘う。最後は、柁城(だじょう)小学校の校庭で各地区の踊り手が庭踊りをして締めくくった。
西別府保存会の中森春志会長(75)は「昔から鉦の音を聞くと踊りたくなる。踊り手は減っているが、地域にとって大事な行事。これからもみんなで盛り上げていきたい」と話した。
南日本新聞 | 鹿児島