朝ドラが同性愛を描くのは「思想の押し付け」の声も…『虎に翼』批判に頭が痛くなるワケ
棚上げになる結婚に取り組む意図
第51回放送後、脚本家の吉田恵里香は、X上で轟のセクシャリティについて「同性愛は設定でもなんでもない」と補足的に言及している。ひとりのキャラクターの性自認にとことん向き合う脚本家の態度からすると、「兵隊に取られずに済むと思うと嬉しかった」という台詞は、むしろ三島的人物の反語的な響きを伴っている。 もちろん戸塚の役作りでのアプローチとしてはある程度、三島的要素を認めつつ、本作が表象する同性愛については別の視点から考える必要がある。そもそも一度保留になっていた轟の性自認が、第100回になって寅子の再婚の話題からなぜ再び描かれるのか? 多くのBLドラマが現実問題として処理しきれないテーマが結婚なのだ。シーズン1当初はかなり誠実な製作態度が感じられた『おっさんずラブ』(テレビ朝日、2018年)でさえ、シーズンを重ねるごとに結局は結婚を棚上げにしてしまった。 BL的でありながら、中年男性たちの現実問題に向き合った『きのう何食べた?』(テレビ東京、2019年)は例外的な作品だったが、結婚とはBLドラマの枠内にには収まりきらない概念である。 『30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい』(テレビ東京、2020年)でBLドラマの脚本を経験している吉田だからこそ、『虎に翼』では、寅子の再婚を契機としながら男性同性愛者たちをとりまく現実の課題を描くことを意図しているように筆者は思う。
思想の押し付けなのか?
第100回から週が明けた第21週第101回で、轟から相手の男性・遠藤時雄(和田正人)と交際していることを伝えられ、寅子はやや困惑ぎみの表情を浮かべる。寅子は「お二人を見て何とも言えない顔をしてしまったと思うの」と彼女なりの謝意を表すが、戦前、戦中に裕福な家庭で育った寅子のことだから、男性同性愛者に出会ったのは生まれて初めてのことなのだろう。 差別意識からの困惑ではなく、正直な驚き。飲み込むのに少し時間がかかるだけ。ネット上の反応を一応確認しておくと、セクシャルマイノリティに対する現代の理解を昭和の時代にねじ込んだ思想の押し付け云々……。BL誤読はまだかわいいほうか。あたた、頭がいたくなる。 でも少し冷静になろう。思想の押し付けか。そうか、そう感じる視聴者がいるのはわからないでもない。新民法草案や夫婦別姓など、本作は日本の現代史の諸問題の糸口を丁寧にひとつひとつ探してきた。長い対話を重ねるその間、ときに説明的になることは確かにあった。 どれだけ政治的な作品であってももっと簡潔にメッセージを伝えることはできるかもしれない。話題を同性愛に限るなら、例えば同性愛者として戦後の世界映画史に名を刻むジョゼフ・ロージーは、『鱒』(1982年)の中で、「異性愛、同性愛といった区別はもうないの。あるのは、ただ性的かそうでないかの違いだけ」と極めて抑制されたフレーズに集約している。