松村雄基『スクール☆ウォーズ』で不良を演じながら、脳梗塞で倒れた祖母の在宅介護を10年続けて。還暦過ぎてもチャレンジする人生を
1980年代のドラマ『不良少女とよばれて』や『スクール☆ウォーズ』などに出演し、人気を博した俳優の松村雄基さん。歌手や書家としても活動の幅を広げる中、11月には舞台『クリスマス・キャロル』で主演を務めます。今年還暦を迎えるにあたり、芸能界入りのきっかけから2人暮らしをしていた祖母の介護を振り返りつつ、今後の活動について語ってもらいました。 (構成=上田恵子 撮影=本社◎奥西義和) 【写真】松村さんの壁ドン! * * * * * * * ◆「芸能界でやっていけると思った」と言われて 芸能生活を始めて今年で43周年。この11月に還暦を迎えます。もう還暦だなんて、誰よりも僕自身がビックリしています。(笑) この世界に入ったきっかけはスカウトでした。たまたま同級生の女の子のお母さんと今の事務所の社長が知り合いだった縁で、声がかかったのです。そのとき僕は14歳、中学2年生でした。 その同級生にはカッコイイ彼氏がいたため、後になって「なぜ彼氏じゃなく俺を推薦したの?」と聞いてみたところ、「彼には芸能界みたいな汚い世界に染まってほしくなかった。でも、あんたが生徒会長として演説をする姿を見て、この人ならやっていけると思った」と言われて。(笑) 確かに僕は当時、生徒会長をしていましたが、彼女は選挙の際、僕に対して不信任投票をしているんです。つまり好かれてはいなかった。推薦の理由を聞いても褒められているのかけなされているのかさっぱりわからず、ポカーンと話を聞いていたことを覚えています。(笑) 僕としては芸能界に興味がなかったので断わるつもりでいたのですが、一緒に暮らしていた祖母から「無下にお断りするのも失礼よ。お会いするだけお会いしてみなさい」と諭されて。後日、六本木にある喫茶店「アマンド」で、社長と面談することになりました。
◆高校生の時に、ドラマ『生徒諸君!』でデビュー 「好きな役者さんは?」「よく知りません」「歌手は?」「知りません」「好きな野球チームは?」「あまり野球は観ません」という感じで、社長との会話はまったく弾まず(笑)。でも逆にそれを面白い、新鮮だと感じてくれたのか、後日僕が学校に行っている間に社長自ら家に来て、祖母を説得したそうなんです。 最終的に、「今日一日社長さんとお話したけど、信頼できる人だと思うからやってみなさい」という祖母の鶴の一声で、僕は芸能の道に進むことになりました。社長と祖母の連携にまんまとはめられたような気もしますが、こうして43年も続けられているわけですから、二人の目は正しかったということになりますね(笑)。きっかけを作ってくれた同級生にも感謝しています。 それから2年間、新劇系の「劇団俳小」の聴講生として芝居を学び、1980年、高校2年生のときにドラマ『生徒諸君!』の沖田成利役でデビューしました。大阪から来たちょっとクールでアウトローっぽい学生の役で、皆さんに話題にしていただいたおかげか、すぐに次作となるドラマ『ぼくらの時代』への出演が決定。こちらも学園もので、教師役に国広富之さん、生徒役には時任三郎さんや柳葉敏郎さんがいました。 そのころ僕は一般の都立高校に通っていたのですが、仕事が忙しくなるにつれて徐々に学校に行けなくなって。高3の時の出席日数は、わずか50日でした。そこで当時、都立では唯一通信制の授業があった都立上野高校の4年生に編入。1年間通信で学び、なんとか卒業することができたのです。
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