「優しさ」と「数学」がビジネス成功の鍵である理由
「Ashley Stewart」という会社を率いて、倒産の危機を乗り越えて復活させたとき、「優しさと数学」が自分の成功の鍵だと確信しました。 私は「優しさ」の代わりになるほかの言葉を一生懸命探しました。本当にいろんな言葉を考えました。しかしそれと同時に、Ashley Stewartで経験してきたすべてのことを考えると、文字通り生き残りをかけた戦いを筆者とともにくぐり抜けてきた同僚たちは「優しさとはなにか」を理解しているはずだとかなりの自信を持っていました。 なぜなら、かれらは、優しさを体現しその中に深く身をおいてきたからです。 しかし、優しさは「長続き」するのか。優しさは「拡大」できるのか。優しさは会社の純利益を持続・成長させることができるのかー。会社を同僚、顧客、およびベンダーという直接のエコシステム以外の世界と再接続する必要がありました。 私たちと関わったことがない将来の同僚やビジネス関係者にとって、優しさは何を意味するのでしょうか?
「優しさ」はビジネスにおいて誤解されやすい
優しさは、ポップカルチャーでは感傷的に扱われる一方で、ビジネスの世界では否定されているということは誰もが知っています。スニーカーを履いてオーバーオールを着た強気な若者が働くレモネード・スタンドなら、何の問題もありません。 しかし、大人の職場では通用しません。鎧を身に纏います。優しさは恥ずかしく、断然カッコ悪いものなのです。優しさを中心としたカリキュラムが世界のビジネススクールの主流になっているわけでもありません。 しかし、なぜなのでしょうか。優しさがビジネスで通用しないとは証明されていません。 それはおそらく、優しさは、その定義上と言っていいでしょうが、ひとつの数値に還元されにくく相関関係や因果関係の分析が難しいからかもしれません。あるいは、優しさが不適切に定義されているからかもしれません。 いろいろ考えてみましたが、優しさよりいい言葉は思いつきませんでした。唯一あるとすれば「愛」で、優しさに関連している言葉ではあるものの同じではありません。愛は親密で個人的なものですが、優しさは見ず知らずの人同士が交わすことのできるものです。つまり、優しさは愛よりもはるかに拡大可能なのです。 では、優しさの定義は何か。簡単ではありません。優しさは枠にはまるものではないのです。 まず指摘しておきたいのは、何世紀にもわたって一握りの並外れたリーダーたちが、「優しさ」の哲学に基づいて世界を変えるさまざまな動きを生み出してきたということです。優しさは超越的なものなのです。 その思想が自由や自由市場などの当時としては急進的な概念を生み出すきっかけとなった、ジャン=ジャック・ルソーやアダム・スミスなど、世界有数の哲学者のなかには、啓蒙時代に「優しさ」について公に書く人たちもいました。 また、孫武がその著書『孫氏』(紀元前5世紀に書かれたにもかかわらず、今日の世界の軍事指導者やビジネスリーダーたちはいまだにこの本を愛読しています)のなかで、優しさや思いやりをリーダーシップの核心的な要素として言及しているにも関わらず「優しさ」がなぜ弱く的外れなものと考えられているのか甚だ疑問です。 なぜ今日、優しさはしばしば疎外され、誤解されているのでしょうか。 この疑問に答えるため、まず「優しさ」ではないものに関して意見が一致するか考えてみましょう。優しさ(kind)は親切さ(nice)ではありません。優しさは、いろいろなスローガンに使われるものの、行き当たりばったりではありません。優しさは偶然ではありません。自分を犠牲にすることでもありません。 では、優しさとは何なのでしょうか。優しさとは、意図的なものです。 優しさは力強くかつ柔軟です。流れる水のように絶え間なく一定です。人あるいは組織に単なる善意を超えて特定の方法で活動・行動することを求めます。 また、私利私欲に反するような振る舞いを求めることで、優しさには勇気、そして信じて思い切ることも必要です。