震災から5年、首長会見を主催した外国特派員協会ジャーナリストの思い
5年前の東日本大震災では、日本にいた外国人ジャーナリストたちも自ら大きな揺れを経験、被災地に入って取材活動を行った。東京の外国特派員協会報道委員長を務め、アイルランド出身で英エコノミスト誌のデイビッド・マックニール契約記者(50)もその1人。同記者は、5年前のあの日に体験したこと、そして、被災地で見たことを振り返った。 【動画】被災地市長らの声、外国特派員協会の記者会見より
被災地首長らを招いた会見の意味
外国特派員協会では、東日本大震災の5周年に合わせて、震災に関連する人々の記者会見を企画。2月17日には福島県南相馬市・桜井勝延市長、同月25日には宮城県南三陸町・佐藤仁町長、3月8日には福島県いわき市・清水敏男市長など、被災地の首長らの会見を主催した。 マックニール記者が務める報道委員長の役割は、会見を含むイベントを企画、検討する審議会の取りまとめ役。今回の震災企画の狙いについて「震災から5年後に一番影響を受けた被災地の現場の人の声を聞くということ。それはすごく大切だ」と力を込める。
マックニール記者が経験した3.11
マックニール記者自身、震災を経験している。東日本大震災の発生当日、私用で神奈川県三浦市に向かうため、京急電鉄品川駅にいた。「最初、少しずつゆれがはじまって、次第に強くなっていった。それまでに経験した地震よりも、すごく揺れが長かったことが印象に残っている。心配したのは、駅の屋根が落ちないかということだった」。かたわらには、妊娠6か月の妻がいた。 電車は止まり、三浦行きは当然運行を中止。帰宅しようにもタクシー乗り場は長蛇の列だった。徒歩で有楽町の日本外国特派員協会へ。そこで妻を休ませたのち、震災に関する事実を報じる記事と、自らがその日体験したことを記した記事を執筆。夜になると電車が動き始めたので帰宅した。 翌12日の朝、知人の外国人記者とカメラマンとともにレンタカーで被災地へ出発。ひどい渋滞を抜け、福島方面に走行中、東京電力福島第一原発事故のニュースを知った。このまま行くべきか否か。3人で相談の末、行くことに決める。「仕事だから。それに、どれくらい危険なのかその時点ではわからなかった」。