鈴木大地さん 0・13秒差の金メダルを生んだバサロとタッチ技術「アメリカ、ソ連を両脇に、真ん中に日の丸が揚がる夢を何度も見た」
パリ五輪に向けたウェブ連載「Messages for Paris」の第8回は、1988年のソウル五輪競泳男子100メートル背泳ぎで金メダルを獲得した鈴木大地さん(57)の世界を驚かせた「技」にスポットを当てる。代名詞となった「バサロ」スタートに加え、100分の13秒差での優勝を勝ち取った最後のタッチは、たゆまぬ努力と強い心が生んだ世界最高峰のテクニック。当時の取材ノートやスポーツ報知による過去のインタビューから、その秘密を探った。(構成=谷口隆俊) 『腰痛で一昨年(1986年)は寝たきりのときもあった。それを乗り越え“必殺”のバサロスタートを本番で5メートルものばす危険な作戦にあえて挑んだ大地。「3位では負け。絶対勝つ」といって勝った大地。まさに“大地”のごとく大きな男が水泳ニッポンを救った。』 88年9月25日付の報知新聞一面で、吉江光弘記者が万感の思いを込めて書いた、鈴木大地さんの金メダルを伝える記事は、こう結ばれている。同24日夜に行われた競泳男子100メートル背泳ぎ決勝で、大地さんは55秒05の日本新記録(当時)で優勝。ライバルのデービッド・バーコフ(米国)を0秒13、イゴール・ポリャンスキー(ソ連)を0秒15抑えて、表彰台の一番高い所に立った。 72年ミュンヘン五輪の田口信教、青木まゆみ以来の競泳金メダル。背泳ぎでは32年ロス五輪の清川正二以来、56年ぶりの快挙となった。当時の取材ノートを読み返すと、大地さんは「アメリカとソ連を両脇に、日の丸が真ん中に揚がる夢を何度も見てきた。日本の国旗が一番高い。気持ち良かった」と感慨深げに話していた。 大地さんがあえて挑んだ危険な作戦―だが、これは大地さんに高い泳力と強い信念、そして緻密な駆け引きがあったからこそできた、まさに“必殺技”だった。 午前中の予選で、バーコフが54秒51の世界新記録(当時)をマークした時、予選を2位で通過した大地さんは鈴木陽二コーチと大きな決断をした。「スタートのバサロを延ばそう」 バサロ泳法とは、70年代後半に個人メドレーのジェシー・バサロ(米国)が背泳ぎのスタートで使ったテクニック。潜水して両腕をまっすぐに伸ばし、ドルフィンキックで進む泳ぎ方で、水の抵抗が減り、推進力は増す。大地さんは中学時代に「これはやってみるしかない」と試したところ、「速くなった」と感じ、マスターした。 バーコフもバサロを駆使して記録を伸ばしてきたが、予選では大地さんが25メートル潜って進んだのに対し、隣のレーンを泳いだバーコフのバサロは35メートル。実は、大地さんがバサロを延長する練習をしていたことを、2009年のスポーツ報知連載企画『主役ふたたび』の取材で明かしている。バサロ泳法を長く使えば前半のスピードは速くなるものの、後半スタミナが落ちると言われる。そこで五輪前の半年間は、スタミナをつける練習をしていたそうで「ペース配分さえ間違えなければ、いける。バサロを延ばすという秘策の理由は、潜水で摩擦を減らすことと、バーコフ選手にプレッシャーをかけるということ」と話している。 大地さんはバサロを25メートルから30メートル(現行ルールは15メートルまで)に延ばし、キック数は21回から27回に増やした。30メートル地点で水面に上がった時、バーコフはまだ潜水中。少し先行してから浮上する宿敵を目印にして終盤に追い込む青写真だった。 予選で負けても決勝で勝つという経験を何度かしていた大地さんは、バーコフは本番のプレッシャーにあまり強くないのでは?と感じていた。揺さぶりをかけるためには、大地さんがバサロを延長したということを水中にいるバーコフに分からせなければならない。だから、隣のレーンで泳ぐ必要があったが、それは予選2位に入ることでクリアしていた。25メートルを過ぎても水面に上がらないライバルに、バーコフは「なぜ大地は浮上しない?」と感じてペースを乱したのかもしれない。 実は五輪の前年、海外の選手に頼まれ、バサロ泳法を教えていたという。自身の速さの秘密をあえて公開したのは「彼らが今から始めても、ずっと続けてきた自分にはかなわないだろう」という読みとともに「自分のフィールドに引っ張り込もう」という狙いがあったから。すでにマスターしていたバーコフ以外の選手にバサロスタートを解説したが、その中の1人、ポリャンスキーはソウル五輪200メートルで金メダルを獲得している。大地さんは海外のライバルたちがバサロを習得しようとしている間、後半のスタミナ強化とタッチの練習に励んでいた。 最後のタッチにも工夫があった。腕を回してゴールするとタイムをロスする。だから、最後のひとかきは、弧を描くようにはせず、ビュッと腕を進行方向(頭の後方)に真っすぐ突き出してゴールした。イメージトレーニングでは、タッチの差で勝つというシーンしか浮かばなかったそうだ。これまでの国際大会では、勝ったと思った選手が、実はタッチの差で負けていたというシーンを何度も見た。タッチの重要さを実感していたから、ひたすら練習した。どちらの手でタッチするか。どの指を使うか。指の長さで、タッチの仕方も変わる。指を思い切りゴール板に突き出せば早くゴールできる。中にはそれで骨折した選手もいるという話を聞いた。だが、折れてもいい。「最後のタッチで死んでもいいから全力を尽くそう」と決めていた。 体力的に外国勢にはかなわない日本人が勝つためには「必殺技が必要」と強く思った。大地さんの必殺技はバサロであり、それが一般化してからはタッチを武器に選んだ。「ここで金メダルを取るんだという気持ちを自分なりに盛り上げていくためには、やれることを全部やらないと絶対に無理だと思っていた。それこそ、自分の体力の限界を超えるくらいの頑張りで、ずっと続けていかないと自信も得られないし、絶対に勝てないと思っていた。もう、突っ走るしかないだろうと」という言葉が残っている。 そういう努力が実を結び、体が反応したという。水をかく大地さんの両手の指の間には、水鳥の足のような『水かき』ができた。信じられないような話だが、写真が残っている。水の抵抗を減らすためなのか、体毛も生えなくなったという。60兆ある体の細胞一つ一つが、『俺達も協力しようじゃないか』とまるで意思を持っているかのように、速く泳げるような体に“進化”させた。「人間の体ってすごいですよね」。そう言って笑った大地さんの顔は、10年以上たった今でも忘れられない―。 ◆鈴木 大地(すずき・だいち)1967年3月10日、千葉県生まれ。57歳。7歳から水泳を始め、市立船橋高入学後に個人メドレーから背泳ぎに転向。高3の84年、ロス五輪に出場。順大3年の87年ユニバーシアード100メートル、200メートルで優勝。88年ソウル五輪100メートル金メダル、400メートルメドレーリレー5位。92年引退。その後、コロラド大ボルダー校客員研究員、順大水泳部監督などを務め、2007年に医学博士。13年に史上最年少の46歳で日本水泳連盟会長に就任。15年には初代スポーツ庁長官に任命された。
報知新聞社