慰霊と復興のモニュメント 震災30年、新たに21人の銘板加わる「神戸の街で、また会えるね」
阪神・淡路大震災から30年となるのを前に、犠牲者らの氏名を刻む「慰霊と復興のモニュメント」(神戸市中央区・東遊園地)に14日、新たに21人の銘板が追加され、セレモニーが開かれた。 【画像】慰霊と復興のモニュメントに刻まれる“生きた証(あかし)” モニュメントは2000年1月に設置。今年(2024年)は震災の犠牲者3人と、震災が遠因で亡くなったとされる8人の11人が名を連ねた。 ◼️変わりゆく神戸の景色、祖父に会いに… 神戸在住の切り絵作家・とみさわかよのさんは、祖父の多田英次さん(享年87)の銘板を追加した。 英文学者だった多田さんは神戸大学の名誉教授として長年教壇に立っていたが、神戸市東灘区の自宅が被災した。 その後、兵庫県宝塚市に避難したが、持病が悪化し、震災の翌年(1996年1月)に亡くなった。 「あの日の朝にいきなり命を奪われた人と、祖父の名を並べていいのか」かよのさんの心には迷いがあった。 しかし、震災の記憶の風化が懸念される中、30年という大きな節目を前に「震災をひとつの歴史として捉え直し、生々しい祖父の記憶に一度区切りをつけたい」との思いから、銘板に名を連ねようと決心した。 ラジオ関西の取材に対し、「被災者一人ひとりが、その人でないと語ることができない辛さがある。そんな気持ちを心にしまって生きている」と語るかよのさん。 そして、「祖父が大好きだった神戸の街にやっと名前を残せた。パンとコーヒーが大好きだったハイカラじいちゃん。景色が変わりゆく神戸の街で、また会いたい」と話す。 かよのさんは画家として、復興する神戸の街を描き続けた。10年、20年…。 銘板を付けるまで30年、祖父を待たせた。年月が経つにつれて、声を上げづらくなる。 「節目は、自分の気持ちが切り替わっていく瞬間ではないか。年月を重ね、震災が歴史的な事実として認識されるにつれて、被災者と遺族の『辛かった、悲しかった』という生々しい声が遠ざかる。30年という節目は、祖父の名前を(モニュメントに)加える最後の機会だと思っていた」と振り返る。 ありし日の多田さんの肖像画を持参した。「ホッとしたのが正直な気持ち。“銘板”という1つのかたちとなって、祖父が確かにこの街で生きていた証(あかし)となった。これで良かったと思う」。 少し潤んだ瞳は優しく、しっかり前を見つめていた。
ラジオ関西