日本城郭検定準1級も保有するほどお城好きな勇斗くんの推城3選!山城好きのきっかけをくれた山城〝月山富田城〟
全国の歴史大好きキッズたちが自分たちの得意・好き分野の歴史的魅力スポットを紹介する「冬休みの歴史感想文」企画!「歴史は好きけど全国に足を運ぶのは難しい・・・」という歴史人キッズたちと一緒に楽しむことができるように魅力を紹介していきます。 歴史好きのはじまりは「ヒーローが好きで、6歳の時におじいちゃんから薦められた大河ドラマをみて戦国武将の生き方や戦いの舞台となったお城に興味を持ったこと」と教えてくれた、小学4年生の中村勇斗くん。中でも、石垣・山城・戦国武将の生き方が特に好きな勇斗くんの推城スタートの地はどこかな・・・? 【出雲大社と石見銀山だけじゃない!一生に一度は行きたい島根県・月山富田城!】 約6年間住んでいた島根県にある山城で、ぼくが山城にハマるキッカケになった城跡です。何度も登るほど魅力が詰まった山城なので、他の観光地と合わせて是非行ってみてください! ⬛︎七曲がりだけど、七曲がりじゃない?! 標高約200mの山に広がる規模の大きいお城は、毛利元就とライバルだった尼子氏の本拠地でした。山の中腹にある山中御殿から本丸のある山頂へ向かう途中には、『七曲がり』と呼ばれる何度も曲がりくねる急勾配の道があり、本丸への唯一の道でした。しかし、七曲がりどころか実際は10回以上曲がりくねっています!七曲がりは険しいので駆け登ることは難しく、上から下が丸見えです。また、人がギリギリすれ違えるくらいの狭さだから、重い甲冑を着て刀を持って…と考えると、本当に恐ろしいエリアです!あの毛利氏を力攻めから兵糧攻めと調略に切り替えさせたほどだったのも分かります。飯梨川や断崖絶壁に囲まれているため、もし縄張り図が手元になくても「もう攻めるのは嫌だ~!」と帰りたくなること間違いなしです。是非毛利軍の気持ちで登り、尼子軍の気持ちで下山してほしいです! ⬛︎「我に七難八苦を与えたまへ」 これは、戦前の教科書に出ていたという山中鹿介(尼子十勇士の1人)の言葉です。「尼子氏の再興のために、7個の災いと8個の苦しみを俺にくれ!」と三日月に祈ったそうです。夢を叶えるためにはどんな辛いことにも負けずに立ち向かうぞ、そんな気持ちが伝わってきます。信玄や政宗ほど有名な武将ではありませんが、島根県では力強い生き方をした鹿介の絵本や漫画が今も読まれています。 そんな鹿介がこの城でぼくと同じ景色を見ていたのかと思うと、ジーンとします。目に飛び込んでくる三ノ丸の立派な石垣、そして二ノ丸、大堀切、本丸へと続きます。壮大な作りに、全武将が戦意喪失しそうです。また、この城を攻めるには、御子守口、塩谷口、菅谷口の3つの入口があるので、時間があればそれぞれ味わってもらいたいです。 ⬛︎本拠地を守れ!城を守るための城が沢山! 月山富田城を守るため、尼子氏は出雲国内に尼子十旗(あまごじっき)や尼子十砦(あまごじっさい)と呼ばれる支城を築きました。ぼくは家族と大部分の支城を訪れたけれど、こんなにも広く陣を敷いていたのか!と、その本気度を感じずにはいられませんでした。ここまで徹底的に防衛ラインを作っても負けたので、毛利氏の強さと賢さはすごいなと思います。 ちなみに、松江市の園では、遠足で支城や毛利氏の付城に登ることもあるのですが、戦いの舞台のお城が今では楽しみの場所に変わったなんて少し不思議な気持ちもあります。 ⬛︎最後に 月山富田城の近くで期間限定難攻不落パフェを食べてきました。高さ25㎝で、抹茶アイスが月山、ぶどうとわらび餅が石垣、てっぺんには城の形の最中!美味しくて、ぼく1人でパフェのお城を全部攻め落としてきました(笑)それぞれの地域の美味しいものを食べることも城巡りの楽しみの一部だと思います! 山城は全国に数えきれないほどたくさんあるので、是非皆さんも一緒に山城を攻めてみませんか?(熊には注意) 【小和田泰経先生からのコメント】 石垣が大好きだという中村君が、「推城」を選んでくださいました。五稜郭、熊本城、月山富田城という城名を見ただけでも、かなりの城好きだとわかり、思わずニヤッとしてしまいます。しかも、この順に並べているのは、中村君の考えがあってのことなのでしょう。 戦国時代には軍事に特化していた城も、江戸時代には天守をあげて権威の象徴としています。しかし、その天守も幕末には意味を持たなくなりました。そんな日本の歴史を象徴しているのがこの3城だと言っても、過言ではありません。それぞれの石垣は、厳密には異なっており、時代に合わせて進化していったこともうかがい知ることができます。 地震や台風で石垣が崩れ、火災で建物が焼失した城は多く、そのたびに復興してきました。一言で火災といっても、失火とは限らず、落雷による火災も少なくありません。地震や天気の研究を希望されてるとのことですので、ぜひとも将来はその道に進み、人の命を救うとともに、城も守っていっていただければと思います。 自然災害を無くすことはできませんが、被害を最小限に押さえることは可能です。現代の科学技術を城の減災にどうつなげていくかが、今後の重要な課題になっていくのではないでしょうか。
中村勇斗