風呂に入らず身体中の毛穴をふさいで感染予防?…昔の人はどのようにしてウイルスと闘ってきたか
病原体としてのウイルスの存在がわかったのは19世紀末から20世紀にかけてのことだ。それまでは、ウイルス感染は、前触れもなく発症して死に至る原因不明の病として怖れられていた。 【画像】古代エジプト王のミイラに天然痘ウイルスの痕跡が! 人類はいかにしてウイルスに立ち向かう「武器」を手に入れたのか。 【※本記事は、宮坂昌之・定岡知彦『ウイルスはそこにいる』(4月18日発売)から抜粋・編集したものです。】
麻しんウイルスとフィジーの悲劇
麻しんウイルス(はしかの病原体)も人類に大きな爪痕を残してきた。 麻しんの死亡率は現在0.1%程度だが、以前は命にかかわる大変な感染症だった。以下は南太平洋の島フィジーで実際に起きたことである。 1875年、フィジーの王様とその息子2人がオーストラリアを公式訪問した。3人はその際に麻しんウイルスに感染し、フィジーに帰国した。 フィジーではロイヤルファミリーの帰国を祝って祝宴が何度も行われた。同国は多くの島からなるので、それぞれの島の長が本島に集まり、祝宴に参加し、自分の島に戻った。 その後、それぞれの島で麻しんが急速に広がり、わずか3ヵ月で当時の人口約15万人のうち、なんと約4分の1(約4万人)が亡くなったという。麻しんウイルスは、免疫を持たない人たちにとっては、当時は死に至る恐怖の病原体だったのである。
人類がついに手にした「武器」
これ以外にも、パンデミック(国際的な感染流行)を繰り返し引き起こしているインフルエンザウイルス、エイズウイルスや今回の新型コロナウイルスなど、人類に大きな災厄をもたらしたウイルスは枚挙に暇がないが、人類が為す術がなかったのも無理もない。 病原体としてのウイルスの存在がわかったのは19世紀末から20世紀にかけてのこと。炭疽菌や結核菌、コレラ菌などのような病原性細菌でさえ、はっきりと同定されたのは19世紀後半だ。 ドイツの医師ロベルト・コッホがこれらの細菌を発見するまでは、なぜ病気が起きるかもわからず、効果的な治療法も存在しなかった。人々は、何の前触れもなく、突如として発症する病に苦しみ、いとも簡単に命を奪われてきた。 一方で、人類も手をこまねいていたわけではない。太古の昔からさまざまな医薬や予防法を試してきた。風呂に入らず身体中の毛穴をふさぐという感染予防法、汚染された血液を大量採取する瀉血療法など、現代医学から見るとトンデモ療法のたぐいが広く行われてきたが、どれも役に立たなかった。 しかし、無数の試行錯誤の末に人類はついに自らの持つ生体防御機構「免疫」を用いた画期的な予防方法を発明した。18世紀の英国人医師ジェンナーによる「種痘」である。 ジェンナーは乳搾りの女性が天然痘に罹らないことに着目し、牛が罹る「牛痘」の膿を健康な人に接種することで感染を予防しようと考えた。 読みはズバリ当たった。経験則のみを頼りとする乱暴な人体実験だったが、8歳の少年に牛の膿を接種したところ、天然痘にならずに済んだのだ。現在の「ワクチン」の原型ともいえる方法だ。 この種痘法をほかの病気にも応用しようとしたのが、19世紀のフランスの細菌学者パスツールだ。パスツールは、病原体を弱毒化する方法を開発してワクチンの製法を確立した。以後、さまざまな感染症に対応するワクチンが次々に開発された。 20世紀前半になると、英国の科学者フレミングが、アオカビが産生するペニシリンを発見したのを皮切りに、さまざまな抗生物質が登場した。これによって、何百万年にわたって人類を苦しめてきた細菌由来の感染症の多くが治療できるようになった。 * 私たちのからだは一見きれいに見えても実はウイルスまみれだった! 宮坂昌之・定岡知彦『ウイルスはそこにいる』(4月18日発売)は、免疫学者とウイルス学者がタッグを組み、生命科学最大のフロンティアを一望します!
宮坂 昌之/定岡 知彦