「裸でベランダに放置され…」「ライターで皮膚をあぶられた」4歳で義父から“壮絶な虐待”を受けた男性(31)が明かす、家庭内暴力が始まった“きっかけ”
義父からの虐待を母親に隠していた理由
――それから、義父による虐待はなくなりましたか。 ブローハン いえ、またすぐに再開しました。その頃には、お母さんが家にいる時間帯でも、義父に駐車場まで連れ出されて虐待をされるようになっていました。 ――お母さんに、虐待のことを話そうと思いませんでしたか。 ブローハン 僕が本当のことを話したら、母と義父が喧嘩になって、今度は母が殴られるかもしれない、と思っていたんです。それに、僕のことで母を困らせたり、悲しませたりするのも嫌だったので、母には暴力を振るわれていることを頑なに隠していました。 ただ僕が5歳くらいの頃だったか、母が僕の体の異変に気付いたことがあったんです。当時、義父は僕の頭につまようじを刺すというのをやっていたのですが、一緒にお風呂に入っていた母に、頭に出血した痕が無数にあるのを見られてしまって。 ――虐待を知ったお母さんは、どうしたのでしょうか。 ブローハン そのあと、義父と口論をしていたのを覚えています。それからすぐあとくらいから、おそらく義父と引き離すためだったのだと思いますが、よその家にちょくちょく預けられるようになりましたね。 預けられる先は叔母の家以外に、母の知り合いである日本人夫婦やフィリピン人、バングラデシュ人の家で暮らしたこともあります。 撮影=山元茂樹/文藝春秋 「局部を握らされ、お尻に入れられそうになった」小1で“性的虐待”を受けたことも…“壮絶な虐待家庭”で育った男性(31)が語る、児童養護施設に入った経緯 へ続く
吉川 ばんび
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