“ハマの番長“三浦が、ラミ流引退式と永ちゃんメッセのWサプライズに号泣
試合後、シーズン終了のイベントが行われ、花火が上がった後に、三浦の引退セレモニーが行われた。三浦の軌跡を関係者の証言で綴る感動的な映像が流れた後、「僕にとってバイブル」とまで憧れる矢沢永吉がコンサートで使う真っ白なスタンドマイクを前に挨拶に立った。三浦は、途中、永ちゃんのヒット曲をもじって、「このまま時間が止まってくれれば」と、スピーチした。そして、もうひとつのサプライズが用意されていた。スコアボードのビジョンに、矢沢永吉からのビデオメッセージが流れたのだ。 「ハマの番長こと、三浦さん、横浜ひと筋に25年。ご苦労さまです。まだ会ったことはないが、ひとくちに25年といっても、ぶれずに、ひとつのことをやり遂げるのは凄いこと」 目を輝かした三浦は、大好きな永ちゃんの曲「「アイ・ラヴ・ユー、OK」が流れる中、場内を一周したあと、ナインに胴上げされ「横浜ナンバー」として準永久欠番となった背番号にちなみ、18度、横浜の夜空に待った。 「最高のプロ野球人生でした。ベンチでもマウンドでもみんなの気持ちが伝わってきた。それに応えられずに申し訳なかった。ファンの方々には、打たれても、打たれても、次がんばれと背中を押し続けてもらってきたが、今日もそうだった。ファンに支えられ皆さんに感謝をしたいし、本当に幸せだった」 引退試合では異例とも言える10失点。それも三浦の波乱万丈な野球人生を表していたのかもしれない。 試合前の始球式には三浦が要望して長男の澪央斗くんが登場した。 「球団に無理を言った。親父が働いていたところに立って何かを感じてくれればいいなあ」と。 ジュニアは、父そっくりのダイナミックなフォームから素晴らしいストレートを投じた。場内にどよめきがおきるほどだった。それが現役中に父らしいことは何ひとつできなかった三浦から息子への伝達式でもあった。 引退セレモニー後、ロッカーに帰った三浦は、ナインにこう伝えた。 「一日でも長くこのユニホームを着させてくれ」 そしてキャプテンである筒香に言った。 「日本一になって、そのとき、もう一回胴上げしてくれ」 横浜DeNAは、10月8日から初出場となるクライマックスシリーズに挑む。 ラミレス監督は投手兼任コーチである三浦を“コーチ”として、今後も、チームに帯同させる考えを抱く。投手・三浦大輔の25年間は終わりを告げたが、横浜DeNAの一員である三浦の最後のシーズンは、まだ終わっていない。場内外、駅にまで張られた大きなポスターには、こう書かれていた。 「永遠番長。いつかまた会おう! 横浜で」 そう、三浦の野球人生も終わっていないのである。