目指すは「ツール・ド・フランス」 選手育成プロジェクト“RTA”に託した自転車界の未来と夢の続き【浅田顕(後編)】
自転車で一般道を長距離走り、チームでの勝利を目指すロードレース。1990年に全日本チャンピオンとなった浅田顕さんは、本場・フランスでプロ契約を結ぶなど、妥協のない競技生活を送ってきた。そんな彼の夢であり原点が、自転車でフランスを一周する世界的レース「ツール・ド・フランス」である。 【フォト】浅田さんの貴重な学生時代・現役時代
1996年に現役生活を終えた浅田さんの次なる夢は、このツール・ド・フランスを筆頭に、世界で活躍できるレーサーを日本から輩出すること。そんな目標を現実にするべく、日本の自転車競技力を向上させる計画として発足したのが「ロード・トゥ・ラヴニール(RTA)プロジェクト」だ。 同プロジェクトは選手発掘から育成、欧州プロレースへの参戦、代表チームサポート、プロ契約サポートまでを一貫して行なう取り組みである。プロジェクト名の由来にもなった「ツール・ド・ラグニール」とは、U23のツール・ド・フランスとも言われるレースであり、ここで活躍することでプロへの道が開けてくる。そこをまず目標として設定することで、日本から世界で活躍する道筋をつくっていく。 「ツール・ド・フランスは雲の上のようなレースですけど、まずはそこに行くための通過点として、ツール・ド・ラグニールを目指してやっていこうというのが、プロジェクト名に込めた意味のひとつです。プロ選手を出すことが今の目標で、業界全体の盛り上がりや日本へのロードレースの定着はその先の話です。そういったことのフックになるような選手が必要なんです」
選手育成に力を入れる背景には、日本のロードレース界の現状がある。他の競技と比べて競技人口が少なすぎること、そして本場・海外とのレベル差が顕著なことで、国内で活躍してもプロへの道筋が見えづらい状況だ。そのような中、世界で戦える選手を育成するには、プロへのパスウェイを明確にしつつ、ポテンシャルと熱量を備えた選手の発掘が重要になると浅田さんは考える。 「ロードレースも世界では成熟されたスポーツなので、1000人に1人ぐらいがプロになれるような状況です。一度立ち返って、育成段階から日本全体のパスウェイを根付かせることが重要なんじゃないかということで、RTAプロジェクトを始めました」 もともとはトライアウトによる選手発掘・育成をメインで行なっていたが、一度育成対象を中学生まで広げる決断を下した。 「大人のほうが教えるのは楽ですよ。子どもはそもそも、自転車でプロになることが、どういうことかわかっていないですから。有名な高校に入って、大学ではインカレで活躍して…という道筋を踏んだところで、プロにはなれないんです。そういった道ができていないことがやはり問題ですよね。挑戦は本人の熱量次第で、強制はできないですけど、やりたい子にはとことんサポートします。いち早く世界のスタンダードを知っておかないと、いくら身体能力に恵まれてもプロレベルには到達できないですから」 世界で活躍する日本人が増え、日本でプロチームを結成。やがては世界のプロレースで通用するようになる。そんなビジョンを浅田さんは描いている。 「日本ロードレース界のレベルアップのために自分ができることは、日本人を本場に連れて行って力を発揮させること。これは誰にでもできることではないと思っています。各選手の強くなりたいという思いが一番のエンジンですから、そういった熱量を持った選手のために道をつくっていきたいです」 少年時代にテレビで見たツール・ド・フランスの光景は、今もなお浅田さんの原動力となっている。夢の続きであり、日本の自転車競技界にできる最大の貢献。世界最高峰に向けての挑戦は続いていく。
浅田顕(あさだ・あきら) 株式会社シクリズムジャポン代表取締役、ロードレースチーム「エキップアサダ」代表。1990年、全日本プロ選手権自転車競技大会で優勝。欧州プロチームと契約を結び、ロードレースの本場・フランスでも選手として活動した。1996年に現役を引退してからは監督・コーチ、チーム運営に注力しており、東京2020オリンピックではロードレース日本代表の監督を務めた。現在は世界でプロとして活躍する日本人を輩出するべく「ロード・トゥ・ラグニール(RTA)プロジェクト」を推進している。
取材・文/森本雄大 写真提供/浅田顕