監督室に呼ばれまさかの通告「嫌とは言えなかった」 意識した戦力外…複雑だった胸中
2013年に40試合登板も…2016年オフに工藤監督から告げられたこと
“鉄腕”が誕生した瞬間は、明確に「クビ」を意識させられた出来事でもあった。元ソフトバンク、ヤクルトの嘉弥真新也氏が現役生活を振り返った。2011年ドラフト5位でプロ入りし、通算472試合に登板。明かされたのは、サイドスローに転向したきっかけ。「監督室に呼ばれたんです」――。 【映像】遅刻→土下座も虚しく退場… 必死に頭を下げる“トライアウト戦士” 高校時代はエースでもなく、無名の選手だった。社会人時代から一気に成長すると、2013年は40試合に登板したが、その後3年は結果を出せず。「球(スピード)はオーバースローの時は出ていたんですけど、コントロールが悪かった。投げたら上に行っていたので」と明確な課題を抱いていた。2016年、わずか5試合登板に終わると、監督室に呼び出された。 「工藤(公康)さん、義則(佐藤)さん、倉野(信次)さんに監督室に呼ばれたんです。『サイドにしたらどうだ』、って言われました。左でサイドにしろって言われるということは、クビが近いということなんですよ。『うわあ』とは思いました。でも、やるしかないじゃないですか。11月、12月、1月とサイドでしっかり投げたら意外と良くて、そこからどんどんハマりました」 オーバースローで通じないから、腕を下げる。「嫌とは言えないです」と、頷くしかなかった。幸い、JX-ENEOS時代にも「上から投げたり横から投げたりしていたので、だから入りやすかったんですよ」と変則投法をしていたから、体にはすぐに馴染んだ。 森福允彦、宮西尚生、松永昂大……。左のサイドスローで戦う先輩たちの動画をとにかく目に焼き付けた。「森福さんとは(チームメートとして)長くやっていて、攻め方をわかっていたので、入りやすかったです。僕にも合っていましたし。こっちでファウルを取って、スライダーでここだよな、って。シュートもありましたから」。最大の武器は大きく曲がるスライダー。「17年、18年が一番良かったです」と、ブルペンに自分だけの居場所を築いてみせた。 左バッターを抑えることを期待され、マウンドに送られる。逆に打ち取れなければ自分の職場がなくなるのだから、嘉弥真にしかない重圧は確かにあった。「左を抑える、抑えるって言われたら意識しすぎてダメになる時があるんです。逆に何も考えない方が抑えられる。考えてしまう時もあったし、投げミスをしないことですね。いかにストライク先行でいけるかを考えていましたね」。明確にクビを意識した瞬間から、大きな成長を見せた。チームのために左腕を振ったことは、引退した今も大切な思い出だ。
竹村岳 / Gaku Takemura