【MotoGPコラム】ホンダ・レーシングの人事異動に感じる『モヤモヤ』……復活目指すMotoGPと”日本企業的”な差配のもったいなさ
HRC(ホンダ・レーシング)で二輪レース活動を長年牽引してきた桒田哲宏さん(二輪レース部レース運営室室長)が、4月の人事異動で四輪部署へ移るという。その情報を最初に聞いたときにまず感じたのは、ちょっと言語化しにくい違和感というか、「なにをやってるんだろうなあ……」という、やりきれないような思いだった。あらかじめ誤解のないように申し述べておくが、この言語化しにくい違和感は、桒田さんやその後任とされている本田太一氏の個々人を指しているわけではない。そこはお間違えなきよう。やりきれなさを抱いた対象を特定するとすれば、いかにも日本企業的で会社カイシャした人事タイミングという段取りを決定したHRCとその親企業である本田技研工業の意志決定者の人々、ということになるだろうか。 【ギャラリー】MotoGP、セパンテストでF1インスパイアな空力マシン続々登場 二輪ロードレースに詳しい諸兄諸姉ならご存じのとおり、桒田さんはMotoGPのレプソル・ホンダ・チームを中心として、サテライトチームや中小排気量カテゴリ、あるいはSBKなど、長年にわたってHRCのレース活動を束ねてきた人物だ。その桒田さんがMotoGPの現場へやってきたのが何年だったのか細かいことは憶えていないけれども、中本修平さんがホンダMotoGPの陣頭指揮を執っていた時代に、F1時代の部下だった技術者の桒田さんをMotoGPへ起用したのがそもそもの契機だったように記憶している。昨年、渡辺康治HRC社長をインタビューした際には、四輪部門との交流による二輪の技術力強化という方法を強調していたけれども、その意味では、中本さん時代からすでに四輪技術者の二輪部門起用は始まっていたともいえるだろう。 中本さんはHRCでレース現場を率いた歴代リーダーの系譜に連なる、いかにも強面の職人気質然とした雰囲気を持つ半面、じつは内外の細やかな調整にも巧みな手腕を発揮する人物、という印象をこちらからは勝手に持っていた。その中本さんの引退後、後任として役割を引き継いだのが桒田さんと国分信一さんだ。翌年(編注:2017年に定年退職)に社を退く中本さんの職務が彼らへ引き継がれるという発表は、4月や10月の定例人事によるものではなく、最終戦を終えた日だったかその翌日だったかのバレンシアサーキットのレプソル・ホンダ・チームホスピタリティで「来シーズンからのホンダ陣営は、私に代わって彼らが率いてゆきます」という挨拶の会見だったと記憶している。国分さんはレース開発室室長という役職で技術面を束ねる立場だったが、昨年10月の異動で佐藤辰さんがその後を引き継ぐことになったのは周知のとおり。 昨年秋に国分さんから佐藤さんへ交替した際には、成績不振の引責という見方も一部ではあったようだが、そんな根も葉もあるのかどうかわからない事情を外野が憶測したがるのも当然なくらいにここ数年のホンダ陣営はかつてないほど苦戦し低迷していた。そして、その状態は現在も続いている。ともあれ、そのような噂に対してホンダ側は、この異動はあくまで定例のジョブローテーションの一環、と説明したが、企業側がそのように説明するのもまた、当然といえば当然だろう。 今回の桒田さんの異動に関しても、ホンダ側に事情を尋ねてみたところ、定期人事異動として桒田さんが四輪レース運営室室長に就任し、その後任としてダカールラリーなどを率いてきた本田太一さんが二輪レース運営室室長に就任すると発表したものであり、通常のジョブローテーションとして考えてもらえばよい、という説明だった。と、このような話を聞くと、それは確かに定例人事のジョブローテーションなんだろう、と思う。春と秋の人事異動はいかにも日本の企業らしい、いわばある種の季節の風物詩のようなものだ。 ただ、そのようなわかりやすい説明があったとしても、はたして真相はどうなんだ、となお勘ぐりたがるのが人情なのかもしれないけれども、じつはそこのところはどうでもいい。どうでもいいといってしまうと語弊があるけれども、そういったゴシップ的な関心は少なくとも本稿の目的ではない。 というわけで冒頭に述べた「なにをやってるんだろうなあ……」というやりきれなさを感じたことに立ち戻るのだけれども、その理由は上でも触れた〈季節の風物詩のような日本企業の定例人事異動〉というところにある。冒頭で〈会社カイシャした〉という表現を用いたことからもお察しいただけるかもしれないが、要するに〈人事異動の時期という日本企業の極めてローカルなルールが、レース現場で動いているシーズンの流れを阻害するような恰好で介入しているように見えること〉に対して、なんとも言いようのない違和感をおぼえるわけですよ。