【映像】“松井5敬遠”28年後の馬淵×林対談 ミラクル劇で甲子園決めた星稜 2014年「自主自立」押し出し復活(第5回)
馬淵監督「星稜の監督は『十字架』を背負ってる」
林監督 あの時の主将は、初めてレギュラーではなかった。6月のある日「レギュラー9人には入れないよ」と言って「キャプテンに徹してほしい」「チームをまとめることに徹してほしい」と告げた。そこから彼も変わり、チームもいい方向になった。夏前には、このチームならという手応えを感じた。1カ月でチームをまとめてくれて、それが非常に大きかったですね。 馬淵監督 星稜の監督は「十字架」を背負ってますよ。勝つことを求められて大変だと思います。 14年夏の甲子園で2勝した星稜は、再び甲子園常連校として歩み始めた。そして昨秋、明徳義塾と再び相まみえることになる。=つづく
第96回全国高校野球選手権石川大会決勝、○星稜9―8小松大谷●(2014年7月27日)
九回、8点を追う星稜は先頭の村中健哉が四球を選ぶと、今村春輝の三塁打で1点を返して反撃開始。無死三塁から村上千馬や梁瀬彪慶の適時打などで3点を加点し、岩下大輝が特大の2点本塁打を放って2点差。さらに1点を加え、2死一、二塁から村上の適時打で同点。続く佐竹海音の左越え適時打でサヨナラ勝ちした。
明徳義塾
1976年創立の中高一貫の私立校。野球部も同年創部した。甲子園初出場は明徳時代の82年春。夏は初出場の84年から2014年まで初戦16連勝。02年夏に甲子園初優勝。4強以上は松坂大輔(西武)を擁した横浜(神奈川)に敗れた98年夏を含め、春夏計6回。春は19回出場で25勝18敗、夏は20回出場で34勝19敗。
馬淵史郎
まぶち・しろう 愛媛・三瓶高、拓大では遊撃手。1986年に社会人野球・阿部企業の監督として日本選手権準優勝。87年から明徳義塾高のコーチを務め、90年に監督就任。甲子園は2002年夏に優勝。春夏通算51勝(32敗)は歴代4位タイ。U18(18歳以下)アジア選手権大会に出場する高校日本代表監督も務める。同校スポーツ局長。
星稜
1962年に創立し、野球部も同年創部。山下智茂監督が率いて72年夏に甲子園初出場。79年夏の3回戦、箕島(和歌山)との延長十八回の激闘は「高校野球史上最高」の試合とも呼ばれる。95年夏には2年生エース・山本省吾(元ソフトバンク)を擁して準優勝。2019年夏も準優勝に輝いた。春は14回出場で9勝13敗、夏は20回出場で24勝20敗。
林和成
はやし・かずなり 金沢市出身。星稜高では主に遊撃手として活躍し、甲子園に春1回、夏2回出場。日大では準硬式野球部に所属。星稜高で1998年からコーチ、2004年から部長をそれぞれ務め、11年4月に監督に就任した。春夏通算11勝7敗。2019年夏の甲子園では奥川恭伸(ヤクルト)を擁して準優勝した。社会科教諭。
毎日新聞社 安田光高