60歳で旅立った院長先生へ…たくさんの島民が救われました、ありがとう 町の追悼コーナーに惜別メッセージ寄せられる
種子島南部の医療圏を支える公立種子島病院(鹿児島県南種子町)の院長、徳永正朝さんが10月27日、胃がんのため60歳で亡くなった。2018年に着任し、幅広い世代に親しまれた地元出身の小児・内科医。病気療養に入って1カ月余りでの訃報に町民は驚きを隠せず、突然の別れを惜しんだ。 【写真】徳永正朝さんの追悼コーナーに見入る町民ら=南種子町農業者トレーニングセンター
11月3日に町役場周辺で開かれた「ふるさと祭」。町農業者トレーニングセンターに追悼コーナーが設けられた。徳永さんの白衣や聴診器、趣味で奏でた三味線、仕事中の一こまを捉えた写真などが並ぶ。その傍らで、多くの町民が「たくさん救われました」「ありがとう」と、惜別のメッセージを寄せていた。 島間の峯山弘子さん(71)は、9月に診察を受けた際、壁に寄りかかる徳永さんを見て「先生、疲れてるね」と声をかけたという。「口数は少なかったけど、優しくてまめで、信頼できる先生だった」 徳永さんの専門が小児科だったこともあり、同病院には種子島唯一の病後児保育施設が3年前に併設された。3人の子どもを育てる中之上の黒澤詩織さん(35)は「土日や深夜でも病院に駆け付けてくれた。説明も丁寧で、どれだけ安心できたことか」と残念がる。 南種子高校から鹿児島大学理学部に進み、会社員を経て鹿大医学部に入り直した徳永さん。奄美中央病院(奄美市)に勤務した約20年前に三味線を学び、奄美島唄の代表的唄者だった坪山豊さん=20年、89歳で死去=とも親交が深かった。
毎年4月3日には、同町茎永である国の重要無形民俗文化財「種子島宝満神社の御田植祭〔おたうえまつり〕」で、神楽の一員として三味線を披露。高校の同級生だった小脇隆則副町長(60)は「地元愛が強く、活動的な人。自分を犠牲にしてでも町民を助けようと頑張ってくれた」と功績をねぎらった。 公立種子島病院は10月28日付で常勤医の野田一成さん(52)=内科、小児科=が院長に就いた。
南日本新聞 | 鹿児島
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