【ルフィ事件から1年】グループのかけ子がフィリピンで密かに死亡…現地で迫る「日本人青年の死の謎」
4階建てのそのアパートはモルタル壁の所々が黒ずみ、随分と古びていた。築数十年は経っている印象だ。1階部分は鉄柵で覆われ、電柱を横切る配電線が複雑に絡み合っている。一目見ただけで、住人たちの生活水準がそれほど豊かではないのが想像できた。 【画像】背景に何が…“ルフィグループのかけ子”だった日本人の青年が「密かに死亡」戦慄の現場写真 きっと彼もそうだったのだろうか。 フィリピンの首都マニラの西側に広がるマニラ湾は、夕陽の美しさで有名だ。その側を南北に走るロハス大通りから少し外れた狭い通りに、アパートは建っていた。そこはフィリピン人の庶民が暮らす住宅地の一角で、多くの日本人が住むビジネス街マカティや外国人観光客が集うエルミタ・マラテからは離れていた。 そのアパート3階の1室で‘20年6月、兵庫県出身の日本人男性S(24・当時)が首を吊って死んでいるのが発見された。フィリピン警察の調べでは、自殺とみられている。Sは直前まで、フィリピンを拠点に特殊詐欺をはたらく犯罪集団「ルフィ」グループのかけ子だった–––––。 ◆「殺されたのではないか」という知人男性の疑念 この一報を私が知ったのは、年の瀬が迫った昨年12月半ばのことだった。関東地方にあるコンビニの駐車場で、Sの知人男性が明かす。 「現地の警察ではSは自殺とされていますが、本当は殺されたのではないかと。僕もマニラにいた時にSと同じグループでかけ子をやっていて、報酬はそれなりにあったので生活はできていました。ですが、人間関係のいざこざから‘19年夏頃に一緒にグループを抜けたんです。でも色々と内部事情を知ってしまったので、口封じのために狙われたのではないかと思っています。Sには恩があるので、真実を明らかにしたくて……」 知人男性もマニラで一度、グループの人間に襲撃され、足の太腿をバタフライナイフで刺されている。命に別状はなかったが、その時に病院まで連れて行ってくれるなど生活の面倒を見てくれたのがSだった。回復するとSと安ホテルを転々とする日々を過ごした。‘20年3月ごろ、滞在期間の延長手続きをするため、入国管理局へ足を運んだ時に身柄を拘束された。同局の外国人収容施設へ移送され、Sとは連絡が途絶えた。Sが亡くなったのはその数ヵ月後のことだ。ひょっとして同じように危険な目に遭わされたのではないか。 知人男性はその後、もやもやした気持ちを抱えながら日本へ強制送還された。日本の警察で取り調べを受けたが、処分保留となった。 仮に知人男性の発言通りだとすれば、Sは自殺を装った他殺ということになる。 私は長年、マニラで邦人事件の取材をしてきたが、同様のケースに遭遇した経験は一度だけある。だからあり得ない話ではないのだが、Sのケースはそれを裏付ける証拠が不十分な気がした。ただ、かけ子として同じ釜の飯を食った知人男性の証言も無下にはできないと考え、今年1月下旬、マニラに滞在中だった私はまず、現場を所轄する首都圏警察パサイ署へ足を運んだ。対応してくれた担当のフィリピン人捜査官は、まだ現場の様子をよく覚えていた。 「亡くなったSは、ドアにベッドシーツを引っ掛け、それで首を吊っていました。体に外傷はなく、室内が荒らされた形跡もない。これらの状況から自殺と断定しました」 私の質問に対し、丁寧にかつ誠実に応える担当捜査官。そもそも、他殺を自殺に見せかけるような捜査官であれば、メディアの取材をまず受けたがらないだろう。ゆえに担当捜査官の判断は、信用できると考えた。 第一発見者はアパートの管理人だった。「Sの部屋から異臭がする」という近隣住民からの通報を受け、部屋に駆けつけたが、入り口のドアは施錠されていた。密室だったのだ。合鍵を探したが見つからず、隣室の窓から中を覗くと、Sがパンツ一丁で首を吊っていた。担当捜査官は、他殺の可能性を否定する別の要素として、こんな説明も加えた。 「当時は新型コロナが蔓延し、街はロックダウン状態だった。Sのアパートへ入るには検疫パスを所持している必要があるため、他人が簡単に入れる状況ではなかった」 やはりSは何らかの事情で自ら命を絶ったと考えるのが自然だろう。担当捜査官は続ける。 「ただ、Sの部屋からは、別の日本人男性Yのパスポートも発見されており、一緒に住んでいたことが分かっています」 では、なぜSは自ら死を選んだのだろうか。その背景には、闇バイトに手を染めた若者たちが陥る厳しい現実があった。 同居していたYもかけ子だった。現在もフィリピン国内に潜伏中で、特殊詐欺に関与したとして日本からは逮捕状が出されている。フィリピン入国管理局からは、強制送還対象のリストにも掲載されている。 担当捜査官によると、Sが亡くなる3ヵ月前、Yはこの部屋を出て戻ってこなくなった。2人の関係はあまり良くなかったようだ。Sは1人暮らしになったが、外出時に必要な検疫パスを所持しておらず、食材を購入できずに困っていたらしい。アパートの管理人の話からも、Sが生活に困窮する様子が浮かび上がってきた。 「Sは亡くなる直前の2ヵ月間、家賃を滞納していました。日本で手掛けていたビジネスがコロナでうまくいかず、お金が入ってこないと言っていましたね」 家賃は月々1万5000ペソ(日本円で約4万円)。2ヵ月分だから、Sは8万円を工面できないまま、命を絶ったことになる。日本に頼れる親族はいなかったのだろうか。前述の知人男性がSの背景をこう説明する。 「Sは元々、日本で受け子でした。経営していた居酒屋が不調になって闇バイトに手を出したのです。それで標的の家を訪れた時に揉めて、写真入りの偽造IDを取られてしまいました。だから日本では身バレして逮捕されるかもしれないと、逃げるようにフィリピンへ渡ったのです」 Sは日本に戻るつもりはなかったという。 「日本では家出もしていて、片親なんですけど音信不通でした」 フィリピンでかけ子をやっていた時はそれなりに生活できたが、グループを一旦、抜け出せば、何の保証もなく、慣れない環境で自活しなければならない。収容施設にいる知人男性とは連絡が取れず、犯罪組織ゆえの複雑な人間関係から、他に頼れる人もいなかった。しかも当時はロックダウンで外出が極度に制限されている状況だ。言葉が理解できなければ、路頭に迷ったはずだ。こうした複合的な要素が重なって精神的に追い込まれ、自死に至ったのではないだろうか。 Sの死から浮かび上がるのは、闇バイトを機にたどり着いた異国の地での、孤独な最期だった。入国管理局によると、今尚、フィリピン国内に潜んでいるルフィの残党は少なくとも十数人。ひょっとしたら彼らも、Sと同じような心境を抱えて生き延びているかもしれない。 取材・文・PHOTO:水谷竹秀 水谷竹秀/’75年、三重県生まれ。『日本を捨てた男たち フィリピンに生きる「困窮邦人」』で第9回開高健ノンフィクション賞を受賞。最新刊は『ルポ 国際ロマンス詐欺』。ウクライナ戦争など世界各地で取材活動を行う
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